義務教育変革

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コメント

  1. 一ヶ月間 授業は、野外研修。

    先生が、一ヵ月後に来るまで放置。

    だれが生き残るか。

    命の尊さを知るだろうな。

  2. 人と人との出会いを増やす。

    色んな人に会うことで自分が見えてくる。

    そんで目標が出来れば自然と行動が起きると思われる。

    「課外授業ようこそ先輩」みたいなのをもっとやって欲しい。

  3. それいいね。

    みんなで、四国に行ってお遍路さん

  4. たかなみ より:

    教師をプロデュ―スする、プロデュ―サーの登場が望まれますね。教育界のジェリー・ブラッカイマーを各地方に置けば、、、、。年金なんて全て廃止して、子供を育成するための教育税を制定してほしい。それなら喜んで払いますよ。

  5. 理論でなく、人間らしさを教えたほうがいいと思う

    日本に、宗教観がないのが、根本的原因だと思われる

    やはり、道徳≒宗教と思うのは、ばっきだけかな?

    宗教自体を否定している日本が、荒廃した精神を育てている要因だと思うよー

  6. たかなみ より:

    さっきまである人と教育論をダベってたのですが、「なぜ?どうして?」と思わせる事こそが教育だと。理論は独学でなんとでもなるという訳で。

    荒廃した精神を育てているのは、躾をしない親に責任があると思いますね。何故かといえば、生活費に異常にお金がかかるので、その分余計に働かなければならず、余裕が無いから。

    お金のかからない生活をして、その空いた時間を躾にあてれば問題はある程度解決できるのではないかと。

    宗教に関しては、坊さんや牧師を講師として話を聞かせるのはいいと思いますね。そこで生徒の心を掴むことができるかできないかが腕の見せ所となる。でもアジテーションや洗脳めいた事をさせないように、監視する人も必要になってきますね。

    難しいなあ、教育って、、、。

  7. たかなみ より:

    2ヶ月前にこういう事書いていたんだ。同じ事ミクシ内で3回くらい書いてる…ここのトピックでも。ちょっと頭ヤバくなってるなあ。

  8. miya-k より:

    自然と人との出会いを大切にし、なぜと問いかける問題発見能力、豊かな人間観の育成。こういう教育と、読み書き算数、ITはどのように結び付けられるべきなのか。自然と人との共存、他人を思いやることを基盤にした社会の実現のために、読み書きがあるというカリキュラムにならないかな。

  9. たかなみ より:

    地元LOVEみたいな気持ちを芽生えさせるのも大事そうですね。その地域内の樹木しか、住宅には使ってはいけないとか。かなりドラスティックですが、そういうのが求められている感じがします。やっぱ関西独立して2国体制だな!

  10. たかなみ より:

    お初です。参加させてくださいな。

    教室に固定のイスを置かない。じゅうたん敷きにして、ソファとか

    適当においてどこに座ってもいいよってする。

    先生と生徒が同じ目線。

    もっと言うと・・

    『先生はえらくて、生徒は先生を尊敬しなきゃいけません。

     先生の言うことは正しくて、子供の言うことは未熟だから

     間違っています。』

    こういうスタンスを改めること。これだと思うのですが。。

  11. たかなみ より:

    >校庭を半分畑に、半分酪農場にする。プールではニジマスなどを養殖する。牛や豚など数頭飼い、文化祭の代わりに謝肉祭を開く。もちろん捌くのも生徒にやらせる…

     あのぉ…[ユートピア都市計画]というトピですが、なんかぁ〜

    [ユートピア農村計画]的でありますね。

     面白いと、思いますけど…23区内や政令指定都市レヴェルでは、校庭を酪農場にしたり、牛や豚を校庭で生徒が捌いていると、近所のひとが騒動にするような気が、なんとなーく、します…。

  12. たかなみ より:

    sourrrrさま

    先生と生徒の関係って難しいですよねえ。私なんか小学生の頃、別にワルじゃないのに棒で頭殴られたり、「頭おかしいんじゃねえか?」って言葉攻めされたり、大変でしたよ。

    今の学級崩壊を考えると、sourrrrさんの案はさらに子供の獣化を促進させるような…。子供って親が放任で育てると獣になっちゃいますからねえ。学校で「自由」を謳歌させるのは、よくないと思いますよ。あくまで学校は社会に出るまでの「予行演習」というスタンスじゃないと。出席日数を重視するのって、会社勤めで休ませない習慣を身につけさせるためのものですからね。

    自由って、その人自身が動いてリスクを背負って得るものですから。自由は与えるものじゃないんです。

    学校は本来学ぶところではなく、友達をつくって同じ目標へ進む苦しみを共有するきっかけをつくるとこだと私は思うので、単位だけ設定して、どうしてもわからない事があったら教師に相談するようなシステムにするといいような。教師は基本、自分の教える分野の研究に時間を費やして。 まああくまで理想ですけどね。

    ますた1919さま

    教育で今一番求められているのは、農業だと思いますよ。「今食べているものはどうやって私たちの口に入るのか」を知らないのが、一番問題だと思うので。誰でも共通の行為って「食べる」って事じゃないですか。

    想像力を養うのが教育の一番の目的だと私は思うので、農業に勝る教育って無いと思って書きこんだ訳です。作物が育たなかったりすると、「なんで育たないのか」って考えるじゃないですか。その「考える」って事が一番大事な訳でしょ。そこで初めて先人が苦労してつくりあげた「知識」が必要になってくる。実践していない知識を詰めこむのが今の教育ですが、それはパソコンのデータ容量を増やす行為と同等な訳で。

    家畜を捌くのも、「こうして肉を食べているんだ」と想像できるでしょ。発砲スチロールのトレーに乗せられてラップされている「物体」が「おいしいなあ」じゃダメなんですよ。

    捌いているのを近所の人がヤーヤー言うならば、それをヤーヤー言う人に問題がありますよ。捌かれた肉を食べているくせに。畜殺場近くに住んでいるのと同じで、嫌なら引っ越すしかないでしょう。そういうのを気付かせる為にも、いいことじゃないかと思うんですよね。想像力が増すじゃないですか。世の中の犯罪のほとんど全ては、加害者の想像力の欠如によるものですから。

  13.  「自由は与えるものじゃないんです。」とは、同感です。不断の努力により、我々、自ら維持するもんだと、思います。

     但し、学校で「自由」を謳歌(表現が微妙かも)させるのは、よくないとは思いません。あくまで学校は社会に出るまでの「予行演習」というスタンスなら、自由を自ら維持し得るに足る「予行演習」も必要でしょう。

     「誰でも共通の行為って『食べる』って事じゃないですか」ということは、「同じ目標へ進む苦しみを共有する」とある「目標」が『食べる』ということでしょうか。社会に出るまでに『食べる』ことができる様にすることが、確かに、教育において重要でしょう。

     「先人が苦労してつくりあげた『知識』が必要になってくる。」とは同感です。ですが、実践していない知識を詰めこむのはともかく、現実的に、直接、会社に入り、食べて行く為のみの知識のみが、実践的な知識であり、今の教育にそれのみが必要だとすると、極端には、「世の中、コネなんだから、学校で基礎的な学力を付けるなんてバカで、とにかく会社に入るための処世術を社会に出る前に付ければ、食べていける。」ということを教えればよい、という人が出てくるのも問題ではないでしょうか?

     『食べる』ことができる様にすることのみを目標にすると、例えば、「会社勤めで休ませない習慣」など、かえって、会社での社員教育の期間の方が長いんだから、会社に、無事入社すれば、いずれ、そうなる…との考えの方もおります。

     誰でも共通の「食べる」って事は、確かに、 一番問題だと思います。どうやって、その目標に達するかの方法は、自由主義社会において様々であっても良い、とは思います。ですが、周囲を見ず、公共を全く考えないで「食べる」ことのみを目標とする人も、はた迷惑だと感じませんでしょうか。

  14.  ゆとり教育により、義務教育の「詰込型教育」、「受験勉強力養成教育」としての質が担保されないことが、低所得者層に対する、専門教育を受けることによる階級上昇(高所得、高い社会的地位の獲得)が妨げられつつあることは、日本人の所得格差が拡大しつつある現在、よく語られています。

     長期的にみれば、日本は、より「詰込教育重視」の教育カリキュラムへの揺り戻しを余儀なくされるでしょう。実際、文部科学省もその方向へ教育指導要領を変えていっています。

     ただ、日本の教育の問題は、教育という公共サービスの受け手である児童生徒に対して、多様な教育メニューが提示されないことです。習熟度別クラス編成や、将来の進路別の教育訓練・社会体験メニュー。

     こうしたものを取り入れると、同じ生徒数に対してより多くの設備を必要とし、充足すべき教員の数・質ともに上昇してしまう、という批判はあります。

     しかし、それは、

     ・移動型教室の採用

     ・制度・仕組の自動化(つまり、教職員が、生徒のカリキュラム

     形成に右往左往しなくていいような、マニュアルづくり)

    によって、制度的・空間的に担保することが可能です。

     移動型教室へ、教室利用を変えるだけなら、教室のレイアウト・インテリアの変更だけで済みます。

     (新しく建設・改修される校舎については、移動型教室としての

      利用を前提とした動線計画・配置計画が必要とされるでしょう

      が)

     それと組み合わせるなら、高波さんがおっしゃっておられるような、「自然教育」的なインフラストラクチャーと、学校施設を混合することは可能でしょう。(都会では不可能ですが)

     あと、個人的には、老人ホームと小学校・中学校を一緒にする、というのもいいんじゃないかと思っています。

     普段の授業はともかく、遊び場を共有にしたり、運動会などのイベントは一緒にやる。

     子供たちに、年配者を敬う気持ち、彼らから受ける人生教育、そして、老人ホームに隔離された高齢者、という人々を、単なる社会福祉の対象、社会の負担としてではなく、社会に利益をもたらす「財産」として、子供達への教育の役割を果たす、「人材」として活かす、活躍してもらうことができるのではないでしょうか。

  15. たかなみ より:

    ますた1919さま

    レスが遅れて申し訳ありません。「ますた1919さんはどうすればいいと思うのか」というのを是非読んでみたいです。よろしくおねがいします。

    勃起ドラえもんさま

    なんかすごいしっかりした文を書き込んでいただいてありがとうございます。聞いた話なんですが役人の本音としては「5%の学生が知識層になって国を動かせばいい」というものらしいですね。

    教育施設の整備は難しいですよねえ。だからあるものをなんとかして使うというのを基本に、生徒と教員がつくっていくというか、近所の工務店と相談して見積して、その学校の予算はこれだけだから、みんなでどうすればいいか考えたりして実践していくと凄くいい経験ができそうですよね。

    あと高齢者と子供、特に乳幼児の世話をボランティアで1対1でできるといいですよねえ。まあ高齢者が皆いい人という訳ではなくて、悪ガキと悪成年と悪中年がいるように、悪高齢者も多くいるので難しいですよねえ。高齢者を起用しないのって、何かをやってもらっている時に倒れてしまって、亡くなってしまう場合があるというのが一番の理由なのでしょうね。解剖学者の養老さんがよく言っている、「死者への差別」が無くならないと難しい問題だと思います。死んであたりまえなんだからいいじゃないか!という価値観が浸透しない事には。

  16. かず より:

    学校か〜授業内容とかはともかくとして、学校そのものをすごしやすくする努力は必要だと思います。遅刻しない、無断欠席しない、宿題を期日までに提出する、といった基本をしっかり教えるのが学校の役割だと思います。

    アメリカのケーススタディなんですけど、教室を改築し、教室を自然光などを取りいれるようにした環境共生型のものに変えたら、生徒の成績や出席率等があがったそうです(光熱費の削減というおまけもついて<本当はこっちがメイン)。あとは、他のトピックでも語られていたように、芝生を校庭にいれるとか。これ、メンテナンスとかいろいろ経費がかかる、といわれてますけど、定期的に芝刈りを行うだけで十分だと思います。雑草が生えていても、問題ないと思います、校庭の場合。

    あとは給食改善かな。郷土料理なんかを取り入れるのもいいと思います。学校内部で生産された、は少しむりでも、近所で育てられた農作物を食べる機会を得る、というのは得がたい経験だと思います。たしかどっかで実施されていたはずです。

    教育のソフト部分(教師の質)とかは早急に変えるのが難しいと思いますけど、ハードの部分(校舎等)は変更するのはさほど難しくないと思います。

  17. zunba より:

    現代の社会では教育というのは国家の基本方針に大きく影響されています。

    誰が何のために”義務教育”にしているのか?

    今の日本は、明治以来、太平洋戦後それ以降も続いている国家の基本方針を変えなければならない時期に来ています。

    現在、この大本のコンセプトが行き詰まっているんだと思います。

    この大本のコンセプトを変えることなしに、現在の教育を変えるのは不可能だと思います。

    と、論点を逸らしてますね

    一個人の一方的思いこみです。

    失礼しました。