「ありがとう」そういうと女はカシスソーダを一気に飲み干した。よほど喉が渇いていたのだろう。「もう一杯おごってもらいないかしら?」宮内はますます興味をそそられた。「マスター、アレキサンダーを彼女に」「ありがとう。私からもおごらせてちょうだい。何でもおっしゃって。」「では、君の左手をいただこう」
「ふふふ…]女は上目遣いに微笑むと、くるりと背を向けた。そして、「また会うことがあったらね…」と言って夜の雑踏に消えていった。宮内は無意識に後を追っていた。どうしてもそうせずにいられなかった。
夜の新宿…。雑踏の中を泳ぐように歩く彼女を追うことはそう容易なことではない。しかし宮内は自分の好奇心を抑えることができず、ひたすらに彼女の後姿を追い続けた。ほそい路地を過ぎ山手通りに出ると不意に彼女は立ち止まり、左肩にかけていたショルダーバッグから携帯電話を取り出し、話し始めた。どうやら口論しているようだ。「わかったわよ!すぐに行けばいいんでしょう。」携帯をバッグにしまうと、彼女は通りにむかって右手をあげ、タクシーを止めた。
宮内は少しためらったが、ここまで来て引き返すわけにはいかなかった。すぐ後ろから来たタクシーに乗り込むと運転手に言った、「あのタクシーを追ってください!」
「面白そうだね、お客さん。実はわたし、むかしから私立探偵ってものにあこがれててねぇ。いやぁ、なんだかわくわくするね。ねぇ。」
しばらく走り、小さなホテルの前でそのタクシーは止まった。「品川?」
ホテルの中に消えていく女のただならぬ様子に、宮内は胸騒ぎを感じた。女の乗ったエレベーターが5階で止まるのを確認し、横の階段に直行した。途中、急ぎ足で降りてくる男とぶつかったが、宮内には気にする余裕もない。511号室のドアがかすかに開いている。思い切って開けてみた。そこにはあの女がいた。長い黒髪がベッドから流れ落ちている。顔は見えない。そして胸にはナイフが突き立てられていた。深紅に染まった女を見て、宮内は何故か美しいと感じた。
そのドラマのような光景に見とれながら、宮内は彼女の腕をつたってじゅうたんに滴り落ちる血を目で追った。「指輪が… 無い?」バーで見た彼女の左手に光っていたあのルビーの指輪が無くなっていたのだ。「キャー!」「何だ!?」「どうした?」女の悲鳴や、ホールから聞こえるざわめきを聞いても宮内は彼女から目を離すことができなかった・・・。「誰か!誰か来て!女の人が…!!」
遠くでサイレンが聞こえる・・・。それさえも彼には他人事だった。
「君。」背後から男の声がし、宮内はようやく我に返った。「ここで何をしているんだね?」「私、私は…。」「この部屋の宿泊者かね?」「いえ、私は…。」その詰問口調から男が警官であることは明らかだった。何かを答えなければ、そう思いながらも口が動かなかった。何を言っていいのかが解らなかったのだ・・・。「違うんだね?ではここで何をしているんだね?」「警部!被害者の身元が判明しました。秋吉さわ子32歳。現住所は東京都台東区。鋭利な刃物で胸部を数箇所刺されており、それによる失血が直接の死因とみて間違いないようです。」「そうか、引き続きガイシャの親類、知人をあたってくれ。」そういうと宮内に向き直り、「君が第一発見者だね。重要参考人として話を聞かせてもらいたい。一緒にきてもらえるね。」と言って宮内をホテルの別室に案内した。
「彼女との関係は?」
「いや、関係といっても今日始めてバーで会って、ドリンクを2杯もおごらされた挙句、彼女は去っていったんです。何となく気になって、追いかけてみたらここに来ていたと言う訳です。」
「おごらされて振られたから頭にきたと、そういうことですか。」「そんなバカな!私は何も知りませんよ。ただ気になって…」「あの通り相当な美人ですからな。」いかにも刑事らしい鋭い眼光が、宮内に突き刺さる。「そうだ、新宿の『マッコイズバー』のマスターに聞いてもらえば判ります。彼女の方から声をかけてきたんですから。」
事情聴取は2時間ほどで終わった。居所と連絡先を聞かれ、念のため許可なく都内から出ないようにと言われ、やっと開放された。いわゆる証拠不十分か。疑いが晴れたわけではないらしい。尾行されているのが判った。
511号室の客が男性で偽名らしいこと、連絡先不明なこと、宮内とは似ても似つかぬ男らしいことが、刑事たちの会話から分かってきた。
宮内が証言した“階段でぶつかった男”もどうやら犯人とは無関係のようだ。現場を目撃し悲鳴を上げた女の愛人で、密会の後、人目をさけて階段を駆け下りたのだという。
数日経ち、警察は容疑者を絞り込んでいた。
第一発見者の「宮内洋太郎」、511号室の客で自称「安藤圭一」、秋吉佐和子の婚約者「神山翔」、神山の元恋人「白石文香」の4人だ。安藤は未だに行方不明である。神山は当日のアリバイがなく、最近有吉と口論しているところを友人に目撃されている。白石は有吉に恋人を奪われ、相当恨んでいたという。こちらも確かなアリバイは無い。
ナイフから指紋は検出されず、遺留品は見つかっていない。ただし、殺害の際、血液が相当犯人の洋服に飛び散ったと見られている。
捜査は行き詰まりかと思われた。そんな時、宮内が突然警察に現れた。「あの、確かではないのですが、どうも殺された秋吉さんと、私が新宿で会った女性は別人のようなんです。バーで飲んでいた時間はほんの30分程度でしたから、はっきり顔を覚えているわけではないんですが、新聞の写真を見てどうも違うような気がするのです。美人は美人だったのですが…」「なんだって!」
「では、一体新宿であった女性は誰なんだ?そして秋吉さわ子はの関係は?…まさか、おとりだったという事なのか?」
「おとりってどういう意味ですか!?」不意に出た言葉に宮内はそう聞き返さずにはいられなかった。「まさか、警察のほうで何もかもわかってやってるんじゃ…?」「早まるんじゃない。」そういうと警部はふと横を向いてため息をついた。「実は何年か前、安藤圭一と名乗った男が殺人事件を起こしていたのだ。場所も被害者の死に方も酷似しているのでね…。」宮内はその耳を疑った。「連続、ですか?」「そう言えなくもないな…。」
連続と言う言葉に皆息をのんだ.ここで犯人を捕まえなければ、また被害者が出る可能性があるという事だからだ.それだけは避けたかった.警察の名誉がかかっている.
宮内は、何となく巻き込まれてしまったこの事件を、大学時代の友人、芦原雄介に相談することを思い立った。芦原は推理小説マニアであり、頭の切れる点では他に比類ない人物である。父親から莫大な遺産を受け継ぎ、不動産収入で悠々と暮らしながら、世界中をバックパッカーのように旅する変り種でもある。
「芦原、久しぶりだな。宮内だよ、宮内洋太郎。この間飲んだのは、3ヶ月前か? そう、そうなんだよ、変な事件に巻き込まれて参ってるんだよ。ちょっと会ってくれよ。」
芦原は一つ返事で承諾した。宮内の会社の近くであるという理由で、新橋にある居酒屋“おふくろ”で7時に待ち合わせた。
「それで、変な事件って?」 芦原が最初に口を切り、お互いの近況を話し合う間もなく宮内は事件の全てを一気に話した。
「そうか、前に読んだ小説に似ていると思ったが、なんだかもっと複雑そうだな。事実は小説より奇なり…か。」「感心してる場合じゃないさ。なぁ、どう思う?」「それでお前はまだ容疑者からはずされていないってことか?」「そうなんだ、なんだかいつも尾行されているような気がして落ち着かないんだ。」
「あれ?お客さん?お客さんでしょ?ねぇ。」突然、背後から少し酔ったような男の声がした。どこかで聞いたような口調だった。宮内が振り返ると、男は続けた。「私のこと覚えてないですかねぇ。先週お客さんを品川のホテルまで…」そうだ、あの日乗ったタクシーの運転手だった。
なんという偶然だろう.宮内は、この幸運を神に感謝した.
「ああ、あの時の。ちょうどいいときにまた会えました。実は今困ってるんですよ。」
「あの殺人事件ですかねぇ。新聞で見て以来、気になっていたんです。なにしろわたしもあの日あの時間にあのホテルの前にいたんですから。ねぇ。」
「苅田と言います。」言いながら彼は宮内と芦原の席に移ってきた。そう言えば「車を追ってくれ」と頼んだ時にずいぶんと興味があるようなことを言っていたな…。そんなことを思いつつ宮内は手にしたグラスを口に近づけた。その時だった、ちょうど新しい二人組みの客が「事件」の話をしながら店に入ってきたのは…。
「おい聞いたか、あの連続殺人事件。」「あぁ、長髪の美人ばかりが狙われるやつだろう?」
宮内はグラスを持つ手が震えた。「おい、宮内!あの事件ってまだ連続とは報道されてないよな?」芦原が小声でささやく。「三人目…ですかねぇ。」苦虫を噛み潰したような顔で苅田がその後を続けた…。
「なんとか俺たちで事件を解決出来ないものだろうか…」宮内がつぶやいた.
「今まで俺に出来なかったことってあったか?」相変わらず自信満々の芦原は、さも面白そうな笑みを浮かべた。
「そうそう、あの時お客さんが追いかけてたすごい美人。殺されたとばっかり思ってたんですが、この間、見ちゃったんですよ。横浜で。びっくりしましたよ。別人かとも思いましたがね、あの顔はなかなか忘れられないでしょ。警察に言っても信じてもらえなさそうですしね。」刈田の真剣な様子からまんざら嘘ではなさそうだ。
「それは間違いなくあの女だったのか?」
「間違いないですよ。私の目に狂いはありません。何年タクシードライバーやってると思ってるんですか。一度乗せた客は二度度忘れませんよ、私は。あと、美人もね。確か横浜で誰か男の人と一緒に歩いてましたよ。仲よさそうに腕組んだりなんかして。」
「ほほう.横浜で男と一緒にか…」
「で、その女と男、どこ行ったんですか?」芦原がここぞとばかりに突っ込む。「私もその手のことは好きなんで後をつけてみたんですがね、横浜駅から横須賀線のホームに上ってたんですよ。ちょうどそこに上りの電車が滑り込んできましてね。私も一緒に乗ろうと思ったんですが、すんでのところでドアが閉まって、それきりですわ。そういえば、その電車、湘南新宿ラインっていってましたっけ。私もたまに使うんで覚えてますよ。」「するとその女、どこまで行くのだろう。大崎、恵比寿、渋谷・・・」宮内の頭の中には電車の停車駅が次々に浮かんできた。
「ふむ。なかなか面白いじゃないか。その辺から調べてみよう。」「調べるって何を?」「犯人さ。君を手玉に取ったその超美人とやらを是非拝見したいよ。」「私に手伝えることがあったら何でも言って下さいよ。今日はこれで。」刈田が名詞を残して去っていった。
その時、隣の客が読んでいた新聞の号外が宮内と芦原の目に留まった。「連続殺人 長い黒髪の美女を狙う?」
わからない。連続殺人事件とあの女との関係がどうしてもわからない...
翌朝、宮内は目を覚ますと同時に朝刊に目を通した。しかし、自分が知っている以上の情報は書かれていなかった。
正午を過ぎた頃、会社にいる宮内の携帯に電話がかかった。芦原からだった。「おい、最新情報だぞ!いまニュースで言っていたんだが、昨夜殺された彼女、昼間に恋人にルビーの指輪をもらったという話を彼女の友人たちにしていたそうだ。」「何だって!」思わず大声がでた。周りの目を気にしつつ、宮内は廊下に出、エレベーターまで急いだ。「芦原、おまえ今どこにるんだ?」「昨夜の現場だよ。宮内、お前さ仕事の後に横浜までいけるか?苅田さんに頼んで連れて行ってもらえよ、で彼が目撃したところを見てきてくれ。」「わかった、また後で連絡する。」会社勤めの自分の身分が歯がゆかった。
早く時間が経って仕事が終わってほしいと願った。とにかく早く横浜に行きたかった。しかし時は、人の思い通りに早まってはくれない。宮内はその日事件の事が頭から離れず仕事もおぼつかない状態だった。
いつもたいてい遅くまで残業する宮内だったが、この日だけは違った。最低限の仕事を終わらせるや否や、会社から逃げるようにして横浜へと向かった。タクシーを捕まえると、「横浜へ。急いでください。」そこに行ったら何かが分かる、という保証はどこにも無かった。とにかくそこに行きさえすれば何かがある、という思いが、宮内を駆り立てていた。「あ、あれは。」
「宮内さん、こっちこっち。いやぁ、早かったですねぇ。」「いや、もう気になっちゃって…、でどのあたりで見かけたんですか?」「山下公園のほうだよ、夜にあのあたりを流していると良く客が入るんでね。あの夜も流してるところだったねぇ。」昨夜の事件は恵比寿…しかし何故芦原は宮内たちに横浜にこさせたのか…女を見かけた、その一つだけの理由で自分たちの足を向けさせた、とも思えない…。苅田と二人夕暮れ時の山下公園を歩く。そのときにはしゃいだような女の声が宮内たちの耳に入ってきた。「わぁ、なんてきれいな指輪!わたしこんなルビーの指輪がほしかったの。うれしい!」思わず声の主を探す、そしてそのとき目にはいったのは黒い長髪の美人と大柄な男だった。
「くすっ。」宮内が吹きだすと、苅田が宮内のほうに向きなおした。「どうかしましたか?」「あ、いや、なんだかルビーの指輪っていう言葉に過剰に反応してしまうみたいで… ほら、あそこにカップルがいるでしょ?あの女性が一瞬バーであったあの女に見えちゃったんですよ。まったくどうかしています。」「まあ、そんなこともあります。そういえば宮内さん、ニュース見ましたかねぇ?」「ああ、事件の最新情報ってやつですね?昼間、芦原から内容は聞いています。なんでも3番目の被害者が、殺される前日にルビーの指輪をもらっていたとか。」「そうなんですよ。ルビーの指輪が事件と無関係ならば公にはしないでしょう?警察だってばかじゃない。すでに何かつかんでいるのでは?私もこの事件はルビーの指輪が鍵を握っているんじゃないかと思うんですよ。
指輪の話をしながら歩き続けていると、宮内の携帯電話が胸のポケットで震えだした。芦原だ。「今横浜に着いたところなんだ、飯でも食べながら話を整理しないか?」「そうだな、どこがいい?」「みなとみらい駅の辺りに大きなホテルがあるだろう?その一つでどうだ?上にはバーもあることだし眺めも良いぞ。」さすがに芦原だ、定食が好きかと思えばシックなバーにも詳しい…。
今まで集めた情報(といってもたいしたことではないが)をお互いに出し合い、どうやら「ルビーの指輪」が重要だ、ということになった。芦原がみた恵比寿の現場では、連続ということもあり、警官たちがかなりピリピリしていたようだ。そこで得た情報も、テレビや新聞にでているものとそう大差は無かった。
とりあえず今夜はお開きで、という頃なにやら周りが騒々しくなっていることに気がついた。
「係りのものが案内しますので、そのままお席でお待ちください。」店員のなにやら落ち着かない声を聞き、三人は様子を見ざるを得なかった。
あたりのざわめきから信じがたいことが起こっていることがわかった。「殺人だって」「女の人?」「あれか?昨日の事件の…。」
三人の周りには重く暗い雰囲気が立ち込めた。最初に口を開いたのは苅田だった。「4人目、ですか…。早いですね、期間が…ねぇ?」そう、これが同一犯だとすると確かに期間が短い。最初は約半年前、次が1週間前そして昨日と今日…。一体犯人の目的は何なんだ、それが分かれば、と宮内は歯軋りした。
とすると、ルビーの指輪が気になる。今回殺された女はルビーの指輪をしていたのだろうか…。思ったら最後たしかめずに入られない性格の三人:警察に掛け合ってみたら、何か教えてもらえるかもしれない、少なくとも今よりは先に進むことができるだろう。三人は早速ごった返すホテルを抜け、警察署へと向かった。
「そこの!」呼び止める大きな声、制服を着た警官だった。事件のあったホテルでは、その時間にホテルにいた全員に事情聴取が行われる。そう簡単にはホテルからは出ることができなかった。
2、3分の事情聴取の後、警察署に向かうタイミングを失った3人は、やはり夜も遅いということでその場で解散することにした。しかし苅田と芦原の後姿を見送った後も、宮内は何かの衝動にかられてしばらく殺人のあったホテルを眺めていた。すると、聞き覚えのある声で呼び止められた。
「やはり君だったか。」振り返ると、そこにはあの品川のホテルで宮内を取り調べた私服の刑事が立っていた。「あ、刑事さん。」「なんだってまたこんな所をうろうろしているんだ?事件の時、君はホテルのバーにいたね。事情聴取をしておきながら容疑者のひとり“宮内洋太朗”という名前に気づかないなんて、“あいつら”はたるんでいるとしか言いようが無い!」刑事はすこし鼻息を荒くしていた。「あいつら…?」そう聞き返してすぐ、さっきの制服姿の警官のことだと気がついた。「まあ、君には今回見事なアリバイがあるから、容疑者リストからはすぐにはずされるだろうがね。もう君を尾行させる必要も無くなったというわけだ。3人で何かこそこそ調べているらしいが、刑事ごっこはよすんだね。事件のことは忘れたほうがいい。」そういうと、刑事は立ち去ろうとした。「まってください。警察がまだ知らないことを私は知っているんです。」宮内が叫んだ。「なんだって?冗談はよしてくれ。」刑事は驚いた様子で振り返りながらそう言った。「いや、本当ですよ。これは前回お話していなかったことです。この一連の事件、ルビーの指輪が関係しているんですよね。私があの夜新宿のバーで会った女性もルビーの指輪をしていたんです。」「なんだって!!?」
宮内は内心しめた、警察はこのことに気づいていていなかった、と思うと同時に、まてよ、驚いたふりをしながら実は警察はすでに事件の核心にまで迫っているかもしれない。よし、心理作戦だ。どうにかして今分かっていることを聞き出してやる、と心の中でつぶやいた。 「ちょっと話が聞きたい。どうだ、一杯やりながらでも。」との刑事の言葉に、飛びあがらんばかりの喜びを抑えて、「いいですね、付き合いますよ。」 二人は屋台のおでんの暖簾をくぐった。
適当におでんを選んで,まずは、乾杯をする、二人。
「で、その女性はルビーの指輪をしていたんだね。」「はい、間違いないです。左手の薬指です。」「どうせ報道されることだが、被害者は長い黒髪、ルビーの指輪ということで一致している。しかもその贈り主は安藤圭一を名乗る正体不明の人物だ。」「安藤圭一は誰なのか全く分からないんですね。」「ああ、残念ながらね。」刑事の顔が苦痛にゆがんだ。「ところで、私の会ったあの女が生きていて、横浜で目撃されたという話があるんですが。」「どうもその話はよく分からんよ。人違いだろう。」「でも、今冷静に考えてみても、あの時の女と殺されていた女性はやっぱり別人です。服装も髪型も同じような感じだったことは確かですが、報道されている女性よりずっとシャープな顔立ちだっと思うんです。背も170センチはあったかと。モデルさんかと思ったくらいです。」「ほう。まさに安藤の好みだ。」
「では、安藤圭一なる人物の猟奇殺人と言うことなんですかね?」「その疑いが濃厚だといっておこう。」「じゃ、あの女は狙われた女性の一人なんでしょうか?」「安藤は狙った女を必ず殺害している。宮内が詰め寄る「あの日、何故私に声をかけてきたんでしょうね。」「それが不思議なところでね。君にも心当たりはないのかい?」宮内の脳裏には、ある考えが浮かんでいた。「実は、あの女、私の理想を絵に描いたような女性なんです。つまり、好みのタイプということですが。声をかけられたら、間違いなく私が興味を持つと知っている人間に、 見事にはめられたような、そんな気もしているんです。」「君をはめる?どういうことかね。」「私を犯人にしたてたい人間がいるということです。」
「君を犯人に…?誰かに恨まれるようなことでもしたのかね?」ふと刑事の目が鋭くなったことに宮内は気がついた。「いえ、そういう訳ではないのですが…。」宮内は口ごもった。なんと言ってよいのかが分からなかったのだ。この胸のそこにある不安をなんと言って表現しよう…そう悩みつつ、冷めかけたおでんを口に運んだ。「まぁ安心しなさい。君には立派なアリバイがある。それにこの事件は連続なんだ、君が関わるずっと前からの話でもあるし。君に罪を着せよう、と思うのならもっと違った形で犯人も君に近づくだろうよ。」「そうですか…?」「ま、私の感だがね。」この会話で宮内の心は少し軽くなった。だがどうだろう、本当に自分に関係のある話ではないのだろうか…。
「あら、宮内君?宮内君でしょう?」不意に後ろから女性の声がした。振り返ると、そこには懐かしそうな微笑を称えた女性がこちらを覗き込むように見ていた、少し離れた所には彼女の友達と思しき2人の女性も立っていた。「ああ、やっぱり宮内君だ。お久しぶり。」「え?…あ?」芦原のお姉さん、と続けようとしてちょっとためらった。確信が無かったのだ。「直子です。本当にお久しぶりね。」「ご無沙汰しています。」「また家にもいらしてね。弟も喜ぶわ。」「はい。そのうち伺います。」ふふふ、と直子は微笑み左手を振りながら友達の方へと戻っていった。一抹の不安を宮内に残しながら…。
「あ、すみません。友人の姉です、彼女。」「いや、誤らなくても…。美人だね。」はい、と返事をしようとして宮内は息を飲んだ。彼の真剣な表情が自分の感じている不安を指していることが分かったからだ。「彼女の左手、気づいたね。あの大粒の…。」「ルビー、でしたね。」芦原に連絡しなければ。宮内がそう思った時、彼の右手に右手にはもう携帯電話が握り締められていた…。
「芦原、大変だよ。直子さん、ルビーの指輪をしてるじゃないか」「ああ、そういえば最近、新しい彼氏から貰ったらしいよ。待てよ、と言うことは…まさか…」「その彼氏ってどんな奴なんだ?」「会ったこと無いんだ。名前も知らないし。詳しく聞いてみるか..」芦原は何だか歯切れが悪かった。その時、刑事の携帯電話が鳴った。「何だって!…分かった。すぐ行く。」「どうしたんですか?」「そこの公園で死体が見つかった。苅田さんらしい…」「そんな!さっき会ったばかりですよ!」
刑事は立ち上がり、手早く勘定を済ませた。そして、宮内にまっすぐ家に帰るように指示すると、通りの向こう側に停めた車の方へ向かって歩き出した。
宮内はしばらく唖然とした。(どうして苅田さんが…)ふと我に返ると、今にも車に乗り込もうとしている刑事に向かって叫んでいた。「刑事さん!私も現場に連れて行っていただけませんか。」動きを止めて振り返った刑事に宮内は走り寄った。「お願いします。私の知り合いなんです。もしかしたら自分のせいでこんなことに…」「…まあいいだろう。助手席へ!」
公園までの道のりは5分といったところだった。しかし、あせる心とは裏腹に、宮内にはその道のりが何倍にも感じられた。車中、宮内はふと疑問に思った。「刑事さん、どうして苅田さんのことを?苅田さんの名前は一言も出していないはずなのに。」刑事は少し顔を歪ませながら答えた。「ああ、そのことか。実は苅田さんは警察の間では顔が広くてね。今はタクシーの運転手をしているが、ちょっと前までは私立探偵をやっていたんだ。」「私立探…偵ですって?」驚きのあまり宮内は口を開いた。「そうなんだ。そんなに腕利きって訳じゃなかったが、フットワークの軽い男でね。警察にもよく事件の情報を流してくれていたんだ。」
車が止まった。公園の入り口にはすでに人だかりが出来ていた。
苅田さんが殺された、ということは犯人にとって彼が邪魔であった、イコール彼が真相を知ってしまったということだ。苅田さんが殺されたのは自分のせいだ、自分が苅田さんを殺してしまったのでは、という思いが頭を駆け巡った。 思いがけない展開に、自分でも何から整理してよいのか分からなかった。 苅田の遺体には青のビニールがかけられていた。殺人現場などみたことの無い宮内は、その光景に言葉も無かった。
青のビニールから手首が見えた。黒焦げだった。周囲に立ち込める異様な匂いは、苅田の悲惨な最期を物語っていた。
「タクシーが衝突して炎上したらしいよ。」「え〜わき見運転とか?そんなタクシー乗りたくいよねぇ。」「爆発したって?」「玉突きだったんじゃないの。」「居眠りだよ。」
周りの野次馬達から事故の様子を伺える。中には目撃者もいるのかもしれない…。しかしなんと無責任な反応な反応なんだろう。事故の被害者が自分の知り合いだったらそんな軽口は聞けないだろう。宮内はそういい出せない自分がなんだか悔しかった。
「宮内くん、こっちへ。」刑事に案内され、さらに青いビニールへと近づく。友人の変わり果てた姿を見なければならない事がはこんなにも辛いものだったのか、だが目をそむけるような事はしたくない。それこそが苅田に対しての礼儀のような気がしたからだ。
「彼女はどうだ?」「だいぶ落ち着いたみたいですね。怪我もたいしたことはなさそうですし。」しばらく苅田の変わり果てた姿を見、だんだんと周りの状況に気を配る余裕が出てきた頃、そんな会話を耳にした。「あの、彼女って?」すぐ近くにいた刑事に宮内は声をかける。「ああ、君は運転手の知り合いだったね。彼女って言うのは事故にあった時に彼のタクシーに乗っていた乗客だよ。」そういって刑事はハンカチを手に肩を震わせている女性のほうに向き直った。左手にハンカチを握り締め、口元に当てている。そしてその手には大粒のルビーが光っていた…。
「直子さん!」宮内は思わず駆け寄り彼女の顔を覗き込み、彼女の両肩をつかんでいた。「大丈夫ですか!一体…一体何があったんですか!?」
宮内の顔を見ると、直子は更に激しく肩を震わせて泣き出した。かなりのショックで混乱しているようだった。見ていられず、宮内は直子を抱きしめた。「もう大丈夫だよ。」宮内がそう言うと直子は懸命に涙を抑えようとした。
少し落ち着くと宮内は直子の様子を伺いながらそっと尋ねた。「何が起こったのかわかりますか?」「タクシーに乗って、そして…バッグを忘れて、爆発…タクシーが…」「落ち着いて、直子さん。」直子は深く深呼吸をすると、一言一言を確かめるように話し出した。「友達と別れてから…タクシーに乗ったの。ちょっと酔っていたみたいで、お財布だけ持ってバッグをタクシーの中に。」「忘れてしまったんですか?」「ええ、でもすぐに気が付いてタクシーを追いかけたわ。そしたら、目の前で爆発して…」どこかふに落ちない気がして宮内は口を挟んだ。「直子さん、どうしてこの公園で降りたんですか?それもこんな時間に。」「それは…この指輪よ。」そう言うと、直子は宮内に左手の薬指にはめたルビーの指輪を見せた。「今日、この公園でプロポーズされたの。その後すぐ圭一さんの携帯が鳴って、どうしても断れない仕事が入ったからって行ってしまったの。私も友達と約束があって…そう、さっき一緒にいた子たちよ。久しぶりにご飯でもって集まったんだけど、みんなでわたしのお祝いをしてくれて。みんなと別れた後、プロポーズの余韻に浸りたくなって…ここに」そこまで聞いて、宮内は自分の身体が震えるのを感じた。「圭一さんって、まさか安藤圭一!!」
「圭一さんを……知ってるの?」直子はまだ不安と混乱の抜け切らない目で宮内を見上げている。何と答えたものか。 宮内は直子から少し目をそらし逡巡した。
「いや、知っているといってもたまたま仕事の関係で。」と、何とか誤魔化そうとしたものの、動揺は隠せなかった。直子が事件に巻き込まれようとしている、何とかして助けなければ。宮内は直子を抱きかかえるようにして、そばのベンチに座らせ、とりあえず彼女が落ち着くのを待つことにした。
「彼とは知り合って間もないのだけど、素晴らしい人なの。教養があって、スポーツマンで、紳士で…」「どこで知り合ったのです?」「スポーツジムで声をかけられたのよ。」「安藤圭一と名乗った?家には行った事あるんですか?」「いいえ、妹さんと一緒に住んでるからって…」直子が狙われたのは間違いないようだ。「何故、彼のことばかり聞くの?何か関係があるって言うの?」宮内は迷った。本当のことを言うべきか。「直子さん、よく聞いてください。彼は、安藤は殺人鬼かも知れないのです。直子さんが狙われたのかもしれないのですよ。」「そんなことある訳無いわ!圭一さんは紳士なのよ!」
「…実は、ルビーの指輪。最近おこってる連続殺人事件で必ず被害者がつけてるんですよ」
「ルビーの指輪をしてるというだけでそういわれるのはかなり心外だわ。それだけで彼を犯人扱いするのは馬鹿げてる。彼に何か恨みでもあるのかしら。」 油に水を注いでしまったようだ。しかし、直子を救うためには何とかして彼女を説得しなければ。自分だけでは心もとない。警察の協力を得て、直子を守って貰おう。宮内は早速刑事に事情を話すと、急に自分がこの事件に直接巻き込まれていくような、感覚を覚え、恐ろしくなった。
直子にどう説得しようかと思いあぐねていると、後から先ほどの刑事が話しかけてきた。「タクシーの爆発は事故ではなく事件になると思いますよ。」神妙な顔の刑事に宮内は答えた「どういう意味ですか?」「…爆発させられた、ということだ。まだ詳しい乾式の結果は出ていないが、爆発により一番破壊されている部分が後部座席だったんだよ。」後部座席だって?車のそんなところが爆発するなんて…。「そんな…まさかあれが…。」直子の顔から血の気が引いてゆく、その速さに宮内は戸惑った。「直子さん?」「まさか、圭一さんに貰ったあれが…?」「直子さん?どうしたんですか?安藤圭一に何を貰ったんですか?」「小さな、小さな箱よ。おもちゃみたいで、中には針金があって…でも見た目よりは重くって…。」刑事の目の色が変わった。「芦原さん、その話詳しく聞かせてください。もしかすると、それが爆発した可能性があります。」
「えっ?ええ…」
「あ、あの、家に帰るまで開けないで欲しいって言われたんです。でも、うっかりバッグごと…」直子はそのまま警察に行くことになった。
宮内は芦原に連絡を取り、あの新宿の「マッコイ」で落ち合った。「ここさ、ここであの女に出会ったんだ。とんだ災難だよ。この店気に入ってたのに台無しさ。」「全く、姉さんが巻き込まれるなんて思わなかった。そりゃあ、俺の姉だから美人だけど、お嬢さん育ちでぼけっとしてるだろ?殺人事件だの、爆発事件だの、とても考えられないよ。」「そうだよな。苅田さんが狙われたのかと思ったけど、やっぱり直子さんだよな。」「安藤ってどんな奴なんだろう?」「警察も正体不明だって言ってるくらいだからな。」芦原は憔悴しきった様子だった。2人だけの兄弟で両親を早くに亡くしている。莫大な遺産があったとしても、辛い経験を2人で乗り越えてきたに違いない。「なあ、宮内。安藤は女性の胸を一突きするという殺害方法を取ってきた。今度は爆発、少し違うんじゃないか?同一人物の犯行だとは思えないんだが。」「そういえばそうだな。じゃ、直子さんを殺そうとしたのは安藤ではないと?」「いや、それは…」
翌朝、警察が動いた。
爆発を逃れた直子の証言により、その恋人であり新容疑者として浮かび上がった“安藤圭一”が事情聴取のため警察に呼ばれた。
自称「安藤圭一」は、国籍アメリカの日系人「KENNNY・J・安藤」氏35歳だと判明した。犯行は全面否定した。しかし、殺された女性との関係については認め、芦原直子と婚約していることも肯定した。
「僕自身びっくりしているのです。1年前来日して以来、交際した女性がどんどん死んでしまう。呪われている様な気がしますよ。巻き込まれたくなかったので、警察には来れませんでした。仕事にもさしつかえますし。とにかく僕は無実です。」そして、安藤には2人目の女性、宮内が発見した有吉佐和子の殺害時刻にアリバイがあることが判明した。取引先の重役と料亭にいたことが確認されたのである。
また安藤が直子に贈ったものは、アメリカ製のオルゴールであり、断じて爆発物ではないという安藤の証言を、警察は覆すことが出来ず、解放せざるを得なかった。爆発物は比較的簡単な装置であることが判明していた。
宮内は、芦原と会っていた。「直子さんはどんな様子だい?」「うん、何とかね。」「直子さんと安藤氏はどうなるんだろう?」「婚約解消にはならなくて済みそうだよ。姉さんは安藤に夢中だからね。あんなに女たらしなのにどこがいいんだか。」「なあ、芦原。俺にはどうしても腑に落ちないことがあるんだよ。新宿で俺に声をかけてきた女さ。ああいう女が俺の好みだって知ってるのはお前だけだと思うんだ。違うか?」
「笑わせるなよ。何のことだ?」「お前、何か隠してるだろ?じゃあ聞くが、ホテルでお前と苅田さんは確か一緒に出て行ったよな。その後どうなったんだ?」「一人で家に帰ったさ。」「証拠はあるか?」「そんなものあるわけないだろ。」ブランデーを持つ芦原の手は微かに震えていた。滅多な事で動揺する男ではない。宮内がその表情から何かを読み取ろうとしても、彼の日に焼けた端正な顔立ちは何も語ろうとはしなかった。
「なあ、宮内。俺は何にもしちゃいないさ。」芦原と宮内の視線が一瞬交錯した。宮内は信じようと決めた。
次の日、重要参考人として芦原雄介が警察に呼ばれた。芦原は一切の疑惑を否定したが、2人目と4人目の女性が殺害されたとき、芦原と似た人物が目撃されていたのである。「君がやったことは判っている。目撃者もいる。」「・・・・・。」「しかし動機は何だ?」
芦原は黙秘を続けていた。その時、若い刑事が慌てて取調室にやって来て、年配の刑事に何事かを囁いた。「芦原さん、君を釈放することになるかもしれんよ。たった今、安藤が殺害されたという連絡が入ったよ。胸を一突き、ルビーの女たちと同じさ。何てこった!」
現場に急行した一同は、血まみれの安藤の傍らで微笑む直子の姿を見た。「姉さん、もう何も言わなくていいから・・・」芦原の嗚咽は直子の甲高い笑い声でかき消された。「安藤さんはずうっと私のもの!邪魔なものはきれいに片付けて差し上げるのよ!」
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週末の「マッコイズバー」には、相変わらずマティーニを片手にパウエルを楽しむ宮内の姿があった。傍らでは芦原の逞しい手がリズムを刻んでいる。「宮内、お前には悪いことをしたな。」「何を?あの女のことか?そういえば未だに謎だよな。誰なんだ?」「売れない女優さ。安藤を調べるために雇ったのさ。ずいぶんと探したよ、彼の好みのタイプをね。」「俺の好みでもあったわけだ。」「偶然だよ、そんなこと。ここは安藤がよく来ていたんだ。だろ、マスター?」グラスを磨いているマスターの口が少しゆがんだ。「マクリーンが好みでね。」「なのに彼女はよりによってお前に声をかけた。好みのタイプだとよ。その日安藤が会議で遅くなることが分かったから、携帯で呼び出したんだ。安藤の泊まっているホテルのバーでチャンスを待てって。そしたら、安藤の部屋に行ってみるって言うんだ、わがままな女だよ。でも、姉さんの方が1歩早かったんだね。それが真実さ。」「しかし爆弾は凄いな。」「ああ、あれは安藤の仕業だよ。今度こそ姉さんが狙われたんだよ、最後の最後にね。」「なぜ安藤は警察に直子さんのことを言わなかったんだろう?」「貿易商とは名ばかりで、片手が後ろに回るような仕事をしていたらしいよ。自分で何とかしたかったんだろ?」「ところで、お前はこれからどうするつもりだ?一人で」「また旅に出るよ。どこか遠くへってやつさ。」「それはいいけど、その前に彼女を俺に紹介してくれよ。お互い好みなんだからさ。」「分かってるよ、相変わらずしっかりしてるな、宮内」2人の拳は自然とぶつかりあって、最上級のグラスのような輝きを放っていた。
The End
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「ありがとう」そういうと女はカシスソーダを一気に飲み干した。よほど喉が渇いていたのだろう。
「もう一杯おごってもらいないかしら?」
宮内はますます興味をそそられた。
「マスター、アレキサンダーを彼女に」
「ありがとう。私からもおごらせてちょうだい。何でもおっしゃって。」
「では、君の左手をいただこう」
「ふふふ…]
女は上目遣いに微笑むと、くるりと背を向けた。そして、
「また会うことがあったらね…」
と言って夜の雑踏に消えていった。宮内は無意識に後を追っていた。どうしてもそうせずにいられなかった。
夜の新宿…。
雑踏の中を泳ぐように歩く彼女を追うことはそう容易なことではない。
しかし宮内は自分の好奇心を抑えることができず、ひたすらに彼女の後姿を追い続けた。
ほそい路地を過ぎ山手通りに出ると不意に彼女は立ち止まり、左肩にかけていたショルダーバッグから携帯電話を取り出し、話し始めた。
どうやら口論しているようだ。
「わかったわよ!すぐに行けばいいんでしょう。」
携帯をバッグにしまうと、彼女は通りにむかって右手をあげ、タクシーを止めた。
宮内は少しためらったが、ここまで来て引き返すわけにはいかなかった。すぐ後ろから来たタクシーに乗り込むと運転手に言った、「あのタクシーを追ってください!」
「面白そうだね、お客さん。実はわたし、むかしから私立探偵ってものにあこがれててねぇ。いやぁ、なんだかわくわくするね。ねぇ。」
しばらく走り、小さなホテルの前でそのタクシーは止まった。
「品川?」
ホテルの中に消えていく女のただならぬ様子に、宮内は胸騒ぎを感じた。
女の乗ったエレベーターが5階で止まるのを確認し、横の階段に直行した。
途中、急ぎ足で降りてくる男とぶつかったが、宮内には気にする余裕もない。511号室のドアがかすかに開いている。思い切って開けてみた。
そこにはあの女がいた。長い黒髪がベッドから流れ落ちている。顔は見えない。そして胸にはナイフが突き立てられていた。深紅に染まった女を見て、宮内は何故か美しいと感じた。
そのドラマのような光景に見とれながら、宮内は彼女の腕をつたってじゅうたんに滴り落ちる血を目で追った。
「指輪が… 無い?」
バーで見た彼女の左手に光っていたあのルビーの指輪が無くなっていたのだ。
「キャー!」
「何だ!?」
「どうした?」
女の悲鳴や、ホールから聞こえるざわめきを聞いても宮内は彼女から目を離すことができなかった・・・。
「誰か!誰か来て!女の人が…!!」
遠くでサイレンが聞こえる・・・。それさえも彼には他人事だった。
「君。」
背後から男の声がし、宮内はようやく我に返った。
「ここで何をしているんだね?」
「私、私は…。」
「この部屋の宿泊者かね?」
「いえ、私は…。」
その詰問口調から男が警官であることは明らかだった。何かを答えなければ、そう思いながらも口が動かなかった。何を言っていいのかが解らなかったのだ・・・。
「違うんだね?ではここで何をしているんだね?」
「警部!被害者の身元が判明しました。秋吉さわ子32歳。現住所は東京都台東区。鋭利な刃物で胸部を数箇所刺されており、それによる失血が直接の死因とみて間違いないようです。」
「そうか、引き続きガイシャの親類、知人をあたってくれ。」
そういうと宮内に向き直り、
「君が第一発見者だね。重要参考人として話を聞かせてもらいたい。一緒にきてもらえるね。」
と言って宮内をホテルの別室に案内した。
「彼女との関係は?」
「いや、関係といっても今日始めてバーで会って、ドリンクを2杯もおごらされた挙句、彼女は去っていったんです。何となく気になって、追いかけてみたらここに来ていたと言う訳です。」
「おごらされて振られたから頭にきたと、そういうことですか。」
「そんなバカな!私は何も知りませんよ。ただ気になって…」
「あの通り相当な美人ですからな。」
いかにも刑事らしい鋭い眼光が、宮内に突き刺さる。
「そうだ、新宿の『マッコイズバー』のマスターに聞いてもらえば判ります。彼女の方から声をかけてきたんですから。」
事情聴取は2時間ほどで終わった。居所と連絡先を聞かれ、念のため許可なく都内から出ないようにと言われ、やっと開放された。いわゆる証拠不十分か。疑いが晴れたわけではないらしい。尾行されているのが判った。
511号室の客が男性で偽名らしいこと、連絡先不明なこと、宮内とは似ても似つかぬ男らしいことが、刑事たちの会話から分かってきた。
宮内が証言した“階段でぶつかった男”もどうやら犯人とは無関係のようだ。現場を目撃し悲鳴を上げた女の愛人で、密会の後、人目をさけて階段を駆け下りたのだという。
数日経ち、警察は容疑者を絞り込んでいた。
第一発見者の「宮内洋太郎」、511号室の客で自称「安藤圭一」、秋吉佐和子の婚約者「神山翔」、神山の元恋人「白石文香」の4人だ。安藤は未だに行方不明である。神山は当日のアリバイがなく、最近有吉と口論しているところを友人に目撃されている。白石は有吉に恋人を奪われ、相当恨んでいたという。こちらも確かなアリバイは無い。
ナイフから指紋は検出されず、遺留品は見つかっていない。ただし、殺害の際、血液が相当犯人の洋服に飛び散ったと見られている。
捜査は行き詰まりかと思われた。
そんな時、宮内が突然警察に現れた。
「あの、確かではないのですが、どうも殺された秋吉さんと、私が新宿で会った女性は別人のようなんです。バーで飲んでいた時間はほんの30分程度でしたから、はっきり顔を覚えているわけではないんですが、新聞の写真を見てどうも違うような気がするのです。美人は美人だったのですが…」
「なんだって!」
「では、一体新宿であった女性は誰なんだ?そして秋吉さわ子はの関係は?…まさか、おとりだったという事なのか?」
「おとりってどういう意味ですか!?」
不意に出た言葉に宮内はそう聞き返さずにはいられなかった。
「まさか、警察のほうで何もかもわかってやってるんじゃ…?」
「早まるんじゃない。」
そういうと警部はふと横を向いてため息をついた。
「実は何年か前、安藤圭一と名乗った男が殺人事件を起こしていたのだ。場所も被害者の死に方も酷似しているのでね…。」
宮内はその耳を疑った。
「連続、ですか?」
「そう言えなくもないな…。」
連続と言う言葉に皆息をのんだ.
ここで犯人を捕まえなければ、
また被害者が出る可能性があるという事だからだ.
それだけは避けたかった.
警察の名誉がかかっている.
宮内は、何となく巻き込まれてしまったこの事件を、大学時代の友人、芦原雄介に相談することを思い立った。芦原は推理小説マニアであり、頭の切れる点では他に比類ない人物である。
父親から莫大な遺産を受け継ぎ、不動産収入で悠々と暮らしながら、世界中をバックパッカーのように旅する変り種でもある。
「芦原、久しぶりだな。宮内だよ、宮内洋太郎。この間飲んだのは、3ヶ月前か? そう、そうなんだよ、変な事件に巻き込まれて参ってるんだよ。ちょっと会ってくれよ。」
芦原は一つ返事で承諾した。
宮内の会社の近くであるという理由で、新橋にある居酒屋“おふくろ”で7時に待ち合わせた。
「それで、変な事件って?」
芦原が最初に口を切り、お互いの近況を話し合う間もなく宮内は事件の全てを一気に話した。
「そうか、前に読んだ小説に似ていると思ったが、なんだかもっと複雑そうだな。事実は小説より奇なり…か。」
「感心してる場合じゃないさ。なぁ、どう思う?」
「それでお前はまだ容疑者からはずされていないってことか?」
「そうなんだ、なんだかいつも尾行されているような気がして落ち着かないんだ。」
「あれ?お客さん?お客さんでしょ?ねぇ。」
突然、背後から少し酔ったような男の声がした。どこかで聞いたような口調だった。
宮内が振り返ると、男は続けた。
「私のこと覚えてないですかねぇ。先週お客さんを品川のホテルまで…」
そうだ、あの日乗ったタクシーの運転手だった。
なんという偶然だろう.
宮内は、この幸運を神に感謝した.
「ああ、あの時の。ちょうどいいときにまた会えました。実は今困ってるんですよ。」
「あの殺人事件ですかねぇ。新聞で見て以来、気になっていたんです。なにしろわたしもあの日あの時間にあのホテルの前にいたんですから。ねぇ。」
「苅田と言います。」
言いながら彼は宮内と芦原の席に移ってきた。
そう言えば「車を追ってくれ」と頼んだ時にずいぶんと興味があるようなことを言っていたな…。そんなことを思いつつ宮内は手にしたグラスを口に近づけた。
その時だった、ちょうど新しい二人組みの客が「事件」の話をしながら店に入ってきたのは…。
「おい聞いたか、あの連続殺人事件。」
「あぁ、長髪の美人ばかりが狙われるやつだろう?」
宮内はグラスを持つ手が震えた。
「おい、宮内!あの事件ってまだ連続とは報道されてないよな?」
芦原が小声でささやく。
「三人目…ですかねぇ。」
苦虫を噛み潰したような顔で苅田がその後を続けた…。
「なんとか俺たちで事件を解決出来ないものだろうか…」
宮内がつぶやいた.
「今まで俺に出来なかったことってあったか?」
相変わらず自信満々の芦原は、さも面白そうな笑みを浮かべた。
「そうそう、あの時お客さんが追いかけてたすごい美人。殺されたとばっかり思ってたんですが、この間、見ちゃったんですよ。横浜で。びっくりしましたよ。別人かとも思いましたがね、あの顔はなかなか忘れられないでしょ。警察に言っても信じてもらえなさそうですしね。」
刈田の真剣な様子からまんざら嘘ではなさそうだ。
「それは間違いなくあの女だったのか?」
「間違いないですよ。私の目に狂いはありません。何年タクシードライバーやってると思ってるんですか。一度乗せた客は二度度忘れませんよ、私は。あと、美人もね。確か横浜で誰か男の人と一緒に歩いてましたよ。仲よさそうに腕組んだりなんかして。」
「ほほう.横浜で男と一緒にか…」
「で、その女と男、どこ行ったんですか?」芦原がここぞとばかりに突っ込む。
「私もその手のことは好きなんで後をつけてみたんですがね、横浜駅から横須賀線のホームに上ってたんですよ。ちょうどそこに上りの電車が滑り込んできましてね。私も一緒に乗ろうと思ったんですが、すんでのところでドアが閉まって、それきりですわ。そういえば、その電車、湘南新宿ラインっていってましたっけ。私もたまに使うんで覚えてますよ。」
「するとその女、どこまで行くのだろう。大崎、恵比寿、渋谷・・・」宮内の頭の中には電車の停車駅が次々に浮かんできた。
「ふむ。なかなか面白いじゃないか。その辺から調べてみよう。」
「調べるって何を?」
「犯人さ。君を手玉に取ったその超美人とやらを是非拝見したいよ。」
「私に手伝えることがあったら何でも言って下さいよ。今日はこれで。」
刈田が名詞を残して去っていった。
その時、隣の客が読んでいた新聞の号外が宮内と芦原の目に留まった。「連続殺人 長い黒髪の美女を狙う?」
わからない。
連続殺人事件とあの女との関係がどうしてもわからない...
翌朝、宮内は目を覚ますと同時に朝刊に目を通した。
しかし、自分が知っている以上の情報は書かれていなかった。
正午を過ぎた頃、会社にいる宮内の携帯に電話がかかった。芦原からだった。
「おい、最新情報だぞ!いまニュースで言っていたんだが、昨夜殺された彼女、昼間に恋人にルビーの指輪をもらったという話を彼女の友人たちにしていたそうだ。」
「何だって!」
思わず大声がでた。周りの目を気にしつつ、宮内は廊下に出、エレベーターまで急いだ。
「芦原、おまえ今どこにるんだ?」
「昨夜の現場だよ。宮内、お前さ仕事の後に横浜までいけるか?苅田さんに頼んで連れて行ってもらえよ、で彼が目撃したところを見てきてくれ。」
「わかった、また後で連絡する。」
会社勤めの自分の身分が歯がゆかった。
早く時間が経って仕事が終わってほしいと願った。
とにかく早く横浜に行きたかった。
しかし時は、人の思い通りに早まってはくれない。
宮内はその日事件の事が頭から離れず仕事もおぼつかない状態だった。
いつもたいてい遅くまで残業する宮内だったが、この日だけは違った。最低限の仕事を終わらせるや否や、会社から逃げるようにして横浜へと向かった。タクシーを捕まえると、「横浜へ。急いでください。」そこに行ったら何かが分かる、という保証はどこにも無かった。とにかくそこに行きさえすれば何かがある、という思いが、宮内を駆り立てていた。「あ、あれは。」
「宮内さん、こっちこっち。いやぁ、早かったですねぇ。」
「いや、もう気になっちゃって…、でどのあたりで見かけたんですか?」
「山下公園のほうだよ、夜にあのあたりを流していると良く客が入るんでね。あの夜も流してるところだったねぇ。」
昨夜の事件は恵比寿…しかし何故芦原は宮内たちに横浜にこさせたのか…女を見かけた、その一つだけの理由で自分たちの足を向けさせた、とも思えない…。
苅田と二人夕暮れ時の山下公園を歩く。そのときにはしゃいだような女の声が宮内たちの耳に入ってきた。
「わぁ、なんてきれいな指輪!わたしこんなルビーの指輪がほしかったの。うれしい!」
思わず声の主を探す、そしてそのとき目にはいったのは黒い長髪の美人と大柄な男だった。
「くすっ。」
宮内が吹きだすと、苅田が宮内のほうに向きなおした。
「どうかしましたか?」
「あ、いや、なんだかルビーの指輪っていう言葉に過剰に反応してしまうみたいで… ほら、あそこにカップルがいるでしょ?あの女性が一瞬バーであったあの女に見えちゃったんですよ。まったくどうかしています。」
「まあ、そんなこともあります。そういえば宮内さん、ニュース見ましたかねぇ?」
「ああ、事件の最新情報ってやつですね?昼間、芦原から内容は聞いています。なんでも3番目の被害者が、殺される前日にルビーの指輪をもらっていたとか。」
「そうなんですよ。ルビーの指輪が事件と無関係ならば公にはしないでしょう?警察だってばかじゃない。すでに何かつかんでいるのでは?私もこの事件はルビーの指輪が鍵を握っているんじゃないかと思うんですよ。
指輪の話をしながら歩き続けていると、宮内の携帯電話が胸のポケットで震えだした。芦原だ。
「今横浜に着いたところなんだ、飯でも食べながら話を整理しないか?」
「そうだな、どこがいい?」
「みなとみらい駅の辺りに大きなホテルがあるだろう?その一つでどうだ?上にはバーもあることだし眺めも良いぞ。」
さすがに芦原だ、定食が好きかと思えばシックなバーにも詳しい…。
今まで集めた情報(といってもたいしたことではないが)をお互いに出し合い、どうやら「ルビーの指輪」が重要だ、ということになった。
芦原がみた恵比寿の現場では、連続ということもあり、警官たちがかなりピリピリしていたようだ。そこで得た情報も、テレビや新聞にでているものとそう大差は無かった。
とりあえず今夜はお開きで、という頃なにやら周りが騒々しくなっていることに気がついた。
「係りのものが案内しますので、そのままお席でお待ちください。」
店員のなにやら落ち着かない声を聞き、三人は様子を見ざるを得なかった。
あたりのざわめきから信じがたいことが起こっていることがわかった。
「殺人だって」
「女の人?」
「あれか?昨日の事件の…。」
三人の周りには重く暗い雰囲気が立ち込めた。
最初に口を開いたのは苅田だった。
「4人目、ですか…。早いですね、期間が…ねぇ?」
そう、これが同一犯だとすると確かに期間が短い。最初は約半年前、次が1週間前そして昨日と今日…。一体犯人の目的は何なんだ、それが分かれば、と宮内は歯軋りした。
とすると、ルビーの指輪が気になる。今回殺された女はルビーの指輪をしていたのだろうか…。思ったら最後たしかめずに入られない性格の三人:警察に掛け合ってみたら、何か教えてもらえるかもしれない、少なくとも今よりは先に進むことができるだろう。三人は早速ごった返すホテルを抜け、警察署へと向かった。
「そこの!」
呼び止める大きな声、制服を着た警官だった。事件のあったホテルでは、その時間にホテルにいた全員に事情聴取が行われる。そう簡単にはホテルからは出ることができなかった。
2、3分の事情聴取の後、警察署に向かうタイミングを失った3人は、やはり夜も遅いということでその場で解散することにした。しかし苅田と芦原の後姿を見送った後も、宮内は何かの衝動にかられてしばらく殺人のあったホテルを眺めていた。すると、聞き覚えのある声で呼び止められた。
「やはり君だったか。」
振り返ると、そこにはあの品川のホテルで宮内を取り調べた私服の刑事が立っていた。
「あ、刑事さん。」
「なんだってまたこんな所をうろうろしているんだ?事件の時、君はホテルのバーにいたね。事情聴取をしておきながら容疑者のひとり“宮内洋太朗”という名前に気づかないなんて、“あいつら”はたるんでいるとしか言いようが無い!」
刑事はすこし鼻息を荒くしていた。
「あいつら…?」
そう聞き返してすぐ、さっきの制服姿の警官のことだと気がついた。
「まあ、君には今回見事なアリバイがあるから、容疑者リストからはすぐにはずされるだろうがね。もう君を尾行させる必要も無くなったというわけだ。3人で何かこそこそ調べているらしいが、刑事ごっこはよすんだね。事件のことは忘れたほうがいい。」
そういうと、刑事は立ち去ろうとした。
「まってください。警察がまだ知らないことを私は知っているんです。」宮内が叫んだ。
「なんだって?冗談はよしてくれ。」
刑事は驚いた様子で振り返りながらそう言った。
「いや、本当ですよ。これは前回お話していなかったことです。この一連の事件、ルビーの指輪が関係しているんですよね。私があの夜新宿のバーで会った女性もルビーの指輪をしていたんです。」
「なんだって!!?」
宮内は内心しめた、警察はこのことに気づいていていなかった、と思うと同時に、まてよ、驚いたふりをしながら実は警察はすでに事件の核心にまで迫っているかもしれない。よし、心理作戦だ。どうにかして今分かっていることを聞き出してやる、と心の中でつぶやいた。
「ちょっと話が聞きたい。どうだ、一杯やりながらでも。」
との刑事の言葉に、飛びあがらんばかりの喜びを抑えて、
「いいですね、付き合いますよ。」
二人は屋台のおでんの暖簾をくぐった。
適当におでんを選んで,まずは、乾杯をする、二人。
「で、その女性はルビーの指輪をしていたんだね。」
「はい、間違いないです。左手の薬指です。」
「どうせ報道されることだが、被害者は長い黒髪、ルビーの指輪ということで一致している。しかもその贈り主は安藤圭一を名乗る正体不明の人物だ。」
「安藤圭一は誰なのか全く分からないんですね。」
「ああ、残念ながらね。」
刑事の顔が苦痛にゆがんだ。
「ところで、私の会ったあの女が生きていて、横浜で目撃されたという話があるんですが。」
「どうもその話はよく分からんよ。人違いだろう。」
「でも、今冷静に考えてみても、あの時の女と殺されていた女性はやっぱり別人です。
服装も髪型も同じような感じだったことは確かですが、
報道されている女性よりずっとシャープな顔立ちだっと思うんです。背も170センチはあったかと。モデルさんかと思ったくらいです。」
「ほう。まさに安藤の好みだ。」
「では、安藤圭一なる人物の猟奇殺人と言うことなんですかね?」
「その疑いが濃厚だといっておこう。」
「じゃ、あの女は狙われた女性の一人なんでしょうか?」
「安藤は狙った女を必ず殺害している。
宮内が詰め寄る
「あの日、何故私に声をかけてきたんでしょうね。」
「それが不思議なところでね。君にも心当たりはないのかい?」
宮内の脳裏には、ある考えが浮かんでいた。
「実は、あの女、私の理想を絵に描いたような女性なんです。
つまり、好みのタイプということですが。声をかけられたら、間違いなく私が興味を持つと知っている人間に、 見事にはめられたような、そんな気もしているんです。」
「君をはめる?どういうことかね。」
「私を犯人にしたてたい人間がいるということです。」
「君を犯人に…?誰かに恨まれるようなことでもしたのかね?」
ふと刑事の目が鋭くなったことに宮内は気がついた。
「いえ、そういう訳ではないのですが…。」
宮内は口ごもった。なんと言ってよいのかが分からなかったのだ。この胸のそこにある不安をなんと言って表現しよう…そう悩みつつ、冷めかけたおでんを口に運んだ。
「まぁ安心しなさい。君には立派なアリバイがある。それにこの事件は連続なんだ、君が関わるずっと前からの話でもあるし。君に罪を着せよう、と思うのならもっと違った形で犯人も君に近づくだろうよ。」
「そうですか…?」
「ま、私の感だがね。」
この会話で宮内の心は少し軽くなった。だがどうだろう、本当に自分に関係のある話ではないのだろうか…。
「あら、宮内君?宮内君でしょう?」
不意に後ろから女性の声がした。振り返ると、そこには懐かしそうな微笑を称えた女性がこちらを覗き込むように見ていた、少し離れた所には彼女の友達と思しき2人の女性も立っていた。
「ああ、やっぱり宮内君だ。お久しぶり。」
「え?…あ?」
芦原のお姉さん、と続けようとしてちょっとためらった。確信が無かったのだ。
「直子です。本当にお久しぶりね。」
「ご無沙汰しています。」
「また家にもいらしてね。弟も喜ぶわ。」
「はい。そのうち伺います。」
ふふふ、と直子は微笑み左手を振りながら友達の方へと戻っていった。一抹の不安を宮内に残しながら…。
「あ、すみません。友人の姉です、彼女。」
「いや、誤らなくても…。美人だね。」
はい、と返事をしようとして宮内は息を飲んだ。彼の真剣な表情が自分の感じている不安を指していることが分かったからだ。
「彼女の左手、気づいたね。あの大粒の…。」
「ルビー、でしたね。」
芦原に連絡しなければ。宮内がそう思った時、彼の右手に右手にはもう携帯電話が握り締められていた…。
「芦原、大変だよ。直子さん、ルビーの指輪をしてるじゃないか」
「ああ、そういえば最近、新しい彼氏から貰ったらしいよ。待てよ、と言うことは…まさか…」
「その彼氏ってどんな奴なんだ?」
「会ったこと無いんだ。名前も知らないし。詳しく聞いてみるか..」
芦原は何だか歯切れが悪かった。その時、刑事の携帯電話が鳴った。
「何だって!…分かった。すぐ行く。」
「どうしたんですか?」
「そこの公園で死体が見つかった。苅田さんらしい…」
「そんな!さっき会ったばかりですよ!」
刑事は立ち上がり、手早く勘定を済ませた。そして、宮内にまっすぐ家に帰るように指示すると、通りの向こう側に停めた車の方へ向かって歩き出した。
宮内はしばらく唖然とした。
(どうして苅田さんが…)
ふと我に返ると、今にも車に乗り込もうとしている刑事に向かって叫んでいた。
「刑事さん!私も現場に連れて行っていただけませんか。」
動きを止めて振り返った刑事に宮内は走り寄った。
「お願いします。私の知り合いなんです。もしかしたら自分のせいでこんなことに…」
「…まあいいだろう。助手席へ!」
公園までの道のりは5分といったところだった。しかし、あせる心とは裏腹に、宮内にはその道のりが何倍にも感じられた。車中、宮内はふと疑問に思った。
「刑事さん、どうして苅田さんのことを?苅田さんの名前は一言も出していないはずなのに。」
刑事は少し顔を歪ませながら答えた。
「ああ、そのことか。実は苅田さんは警察の間では顔が広くてね。今はタクシーの運転手をしているが、ちょっと前までは私立探偵をやっていたんだ。」
「私立探…偵ですって?」驚きのあまり宮内は口を開いた。
「そうなんだ。そんなに腕利きって訳じゃなかったが、フットワークの軽い男でね。警察にもよく事件の情報を流してくれていたんだ。」
車が止まった。公園の入り口にはすでに人だかりが出来ていた。
苅田さんが殺された、ということは犯人にとって彼が邪魔であった、イコール彼が真相を知ってしまったということだ。苅田さんが殺されたのは自分のせいだ、自分が苅田さんを殺してしまったのでは、という思いが頭を駆け巡った。
思いがけない展開に、自分でも何から整理してよいのか分からなかった。
苅田の遺体には青のビニールがかけられていた。殺人現場などみたことの無い宮内は、その光景に言葉も無かった。
青のビニールから手首が見えた。黒焦げだった。周囲に立ち込める異様な匂いは、苅田の悲惨な最期を物語っていた。
「タクシーが衝突して炎上したらしいよ。」
「え〜わき見運転とか?そんなタクシー乗りたくいよねぇ。」
「爆発したって?」
「玉突きだったんじゃないの。」
「居眠りだよ。」
周りの野次馬達から事故の様子を伺える。中には目撃者もいるのかもしれない…。しかしなんと無責任な反応な反応なんだろう。事故の被害者が自分の知り合いだったらそんな軽口は聞けないだろう。宮内はそういい出せない自分がなんだか悔しかった。
「宮内くん、こっちへ。」
刑事に案内され、さらに青いビニールへと近づく。友人の変わり果てた姿を見なければならない事がはこんなにも辛いものだったのか、だが目をそむけるような事はしたくない。それこそが苅田に対しての礼儀のような気がしたからだ。
「彼女はどうだ?」
「だいぶ落ち着いたみたいですね。怪我もたいしたことはなさそうですし。」
しばらく苅田の変わり果てた姿を見、だんだんと周りの状況に気を配る余裕が出てきた頃、そんな会話を耳にした。
「あの、彼女って?」
すぐ近くにいた刑事に宮内は声をかける。
「ああ、君は運転手の知り合いだったね。彼女って言うのは事故にあった時に彼のタクシーに乗っていた乗客だよ。」
そういって刑事はハンカチを手に肩を震わせている女性のほうに向き直った。
左手にハンカチを握り締め、口元に当てている。そしてその手には大粒のルビーが光っていた…。
「直子さん!」
宮内は思わず駆け寄り彼女の顔を覗き込み、彼女の両肩をつかんでいた。
「大丈夫ですか!一体…一体何があったんですか!?」
宮内の顔を見ると、直子は更に激しく肩を震わせて泣き出した。かなりのショックで混乱しているようだった。見ていられず、宮内は直子を抱きしめた。
「もう大丈夫だよ。」
宮内がそう言うと直子は懸命に涙を抑えようとした。
少し落ち着くと宮内は直子の様子を伺いながらそっと尋ねた。
「何が起こったのかわかりますか?」
「タクシーに乗って、そして…バッグを忘れて、爆発…タクシーが…」
「落ち着いて、直子さん。」
直子は深く深呼吸をすると、一言一言を確かめるように話し出した。
「友達と別れてから…タクシーに乗ったの。ちょっと酔っていたみたいで、お財布だけ持ってバッグをタクシーの中に。」
「忘れてしまったんですか?」
「ええ、でもすぐに気が付いてタクシーを追いかけたわ。そしたら、目の前で爆発して…」
どこかふに落ちない気がして宮内は口を挟んだ。
「直子さん、どうしてこの公園で降りたんですか?それもこんな時間に。」
「それは…この指輪よ。」
そう言うと、直子は宮内に左手の薬指にはめたルビーの指輪を見せた。
「今日、この公園でプロポーズされたの。その後すぐ圭一さんの携帯が鳴って、どうしても断れない仕事が入ったからって行ってしまったの。私も友達と約束があって…そう、さっき一緒にいた子たちよ。久しぶりにご飯でもって集まったんだけど、みんなでわたしのお祝いをしてくれて。みんなと別れた後、プロポーズの余韻に浸りたくなって…ここに」
そこまで聞いて、宮内は自分の身体が震えるのを感じた。
「圭一さんって、まさか安藤圭一!!」
「圭一さんを……知ってるの?」
直子はまだ不安と混乱の抜け切らない目で宮内を見上げている。何と答えたものか。
宮内は直子から少し目をそらし逡巡した。
「いや、知っているといってもたまたま仕事の関係で。」
と、何とか誤魔化そうとしたものの、動揺は隠せなかった。直子が事件に巻き込まれようとしている、何とかして助けなければ。宮内は直子を抱きかかえるようにして、そばのベンチに座らせ、とりあえず彼女が落ち着くのを待つことにした。
「彼とは知り合って間もないのだけど、素晴らしい人なの。教養があって、スポーツマンで、紳士で…」
「どこで知り合ったのです?」
「スポーツジムで声をかけられたのよ。」
「安藤圭一と名乗った?家には行った事あるんですか?」
「いいえ、妹さんと一緒に住んでるからって…」
直子が狙われたのは間違いないようだ。
「何故、彼のことばかり聞くの?何か関係があるって言うの?」
宮内は迷った。本当のことを言うべきか。
「直子さん、よく聞いてください。彼は、安藤は殺人鬼かも知れないのです。直子さんが狙われたのかもしれないのですよ。」
「そんなことある訳無いわ!圭一さんは紳士なのよ!」
「…実は、ルビーの指輪。最近おこってる連続殺人事件で必ず被害者がつけてるんですよ」
「ルビーの指輪をしてるというだけでそういわれるのはかなり心外だわ。それだけで彼を犯人扱いするのは馬鹿げてる。彼に何か恨みでもあるのかしら。」
油に水を注いでしまったようだ。しかし、直子を救うためには何とかして彼女を説得しなければ。自分だけでは心もとない。警察の協力を得て、直子を守って貰おう。宮内は早速刑事に事情を話すと、急に自分がこの事件に直接巻き込まれていくような、感覚を覚え、恐ろしくなった。
直子にどう説得しようかと思いあぐねていると、後から先ほどの刑事が話しかけてきた。
「タクシーの爆発は事故ではなく事件になると思いますよ。」
神妙な顔の刑事に宮内は答えた
「どういう意味ですか?」
「…爆発させられた、ということだ。まだ詳しい乾式の結果は出ていないが、爆発により一番破壊されている部分が後部座席だったんだよ。」
後部座席だって?車のそんなところが爆発するなんて…。
「そんな…まさかあれが…。」
直子の顔から血の気が引いてゆく、その速さに宮内は戸惑った。
「直子さん?」
「まさか、圭一さんに貰ったあれが…?」
「直子さん?どうしたんですか?安藤圭一に何を貰ったんですか?」
「小さな、小さな箱よ。おもちゃみたいで、中には針金があって…でも見た目よりは重くって…。」
刑事の目の色が変わった。
「芦原さん、その話詳しく聞かせてください。もしかすると、それが爆発した可能性があります。」
「えっ?ええ…」
「あ、あの、家に帰るまで開けないで欲しいって言われたんです。でも、うっかりバッグごと…」
直子はそのまま警察に行くことになった。
宮内は芦原に連絡を取り、あの新宿の「マッコイ」で落ち合った。
「ここさ、ここであの女に出会ったんだ。とんだ災難だよ。この店気に入ってたのに台無しさ。」
「全く、姉さんが巻き込まれるなんて思わなかった。そりゃあ、俺の姉だから美人だけど、お嬢さん育ちでぼけっとしてるだろ?殺人事件だの、爆発事件だの、とても考えられないよ。」
「そうだよな。苅田さんが狙われたのかと思ったけど、やっぱり直子さんだよな。」
「安藤ってどんな奴なんだろう?」
「警察も正体不明だって言ってるくらいだからな。」
芦原は憔悴しきった様子だった。2人だけの兄弟で両親を早くに亡くしている。莫大な遺産があったとしても、辛い経験を2人で乗り越えてきたに違いない。
「なあ、宮内。安藤は女性の胸を一突きするという殺害方法を取ってきた。今度は爆発、少し違うんじゃないか?同一人物の犯行だとは思えないんだが。」
「そういえばそうだな。じゃ、直子さんを殺そうとしたのは安藤ではないと?」
「いや、それは…」
翌朝、警察が動いた。
爆発を逃れた直子の証言により、その恋人であり新容疑者として浮かび上がった“安藤圭一”が事情聴取のため警察に呼ばれた。
自称「安藤圭一」は、国籍アメリカの日系人「KENNNY・J・安藤」氏35歳だと判明した。犯行は全面否定した。しかし、殺された女性との関係については認め、芦原直子と婚約していることも肯定した。
「僕自身びっくりしているのです。1年前来日して以来、交際した女性がどんどん死んでしまう。呪われている様な気がしますよ。巻き込まれたくなかったので、警察には来れませんでした。仕事にもさしつかえますし。とにかく僕は無実です。」
そして、安藤には2人目の女性、宮内が発見した有吉佐和子の殺害時刻にアリバイがあることが判明した。取引先の重役と料亭にいたことが確認されたのである。
また安藤が直子に贈ったものは、アメリカ製のオルゴールであり、断じて爆発物ではないという安藤の証言を、警察は覆すことが出来ず、解放せざるを得なかった。
爆発物は比較的簡単な装置であることが判明していた。
宮内は、芦原と会っていた。
「直子さんはどんな様子だい?」
「うん、何とかね。」
「直子さんと安藤氏はどうなるんだろう?」
「婚約解消にはならなくて済みそうだよ。姉さんは安藤に夢中だからね。あんなに女たらしなのにどこがいいんだか。」
「なあ、芦原。俺にはどうしても腑に落ちないことがあるんだよ。新宿で俺に声をかけてきた女さ。ああいう女が俺の好みだって知ってるのはお前だけだと思うんだ。違うか?」
「笑わせるなよ。何のことだ?」
「お前、何か隠してるだろ?じゃあ聞くが、ホテルでお前と苅田さんは確か一緒に出て行ったよな。その後どうなったんだ?」
「一人で家に帰ったさ。」
「証拠はあるか?」
「そんなものあるわけないだろ。」
ブランデーを持つ芦原の手は微かに震えていた。滅多な事で動揺する男ではない。宮内がその表情から何かを読み取ろうとしても、彼の日に焼けた端正な顔立ちは何も語ろうとはしなかった。
「なあ、宮内。俺は何にもしちゃいないさ。」
芦原と宮内の視線が一瞬交錯した。宮内は信じようと決めた。
次の日、重要参考人として芦原雄介が警察に呼ばれた。芦原は一切の疑惑を否定したが、2人目と4人目の女性が殺害されたとき、芦原と似た人物が目撃されていたのである。
「君がやったことは判っている。目撃者もいる。」
「・・・・・。」
「しかし動機は何だ?」
芦原は黙秘を続けていた。その時、若い刑事が慌てて取調室にやって来て、年配の刑事に何事かを囁いた。
「芦原さん、君を釈放することになるかもしれんよ。たった今、安藤が殺害されたという連絡が入ったよ。胸を一突き、ルビーの女たちと同じさ。何てこった!」
現場に急行した一同は、血まみれの安藤の傍らで微笑む直子の姿を見た。
「姉さん、もう何も言わなくていいから・・・」
芦原の嗚咽は直子の甲高い笑い声でかき消された。
「安藤さんはずうっと私のもの!邪魔なものはきれいに片付けて差し上げるのよ!」
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週末の「マッコイズバー」には、相変わらずマティーニを片手にパウエルを楽しむ宮内の姿があった。傍らでは芦原の逞しい手がリズムを刻んでいる。
「宮内、お前には悪いことをしたな。」
「何を?あの女のことか?そういえば未だに謎だよな。誰なんだ?」
「売れない女優さ。安藤を調べるために雇ったのさ。ずいぶんと探したよ、彼の好みのタイプをね。」
「俺の好みでもあったわけだ。」
「偶然だよ、そんなこと。ここは安藤がよく来ていたんだ。だろ、マスター?」
グラスを磨いているマスターの口が少しゆがんだ。
「マクリーンが好みでね。」
「なのに彼女はよりによってお前に声をかけた。好みのタイプだとよ。その日安藤が会議で遅くなることが分かったから、携帯で呼び出したんだ。安藤の泊まっているホテルのバーでチャンスを待てって。そしたら、安藤の部屋に行ってみるって言うんだ、わがままな女だよ。でも、姉さんの方が1歩早かったんだね。それが真実さ。」
「しかし爆弾は凄いな。」
「ああ、あれは安藤の仕業だよ。今度こそ姉さんが狙われたんだよ、最後の最後にね。」
「なぜ安藤は警察に直子さんのことを言わなかったんだろう?」
「貿易商とは名ばかりで、片手が後ろに回るような仕事をしていたらしいよ。自分で何とかしたかったんだろ?」
「ところで、お前はこれからどうするつもりだ?一人で」
「また旅に出るよ。どこか遠くへってやつさ。」
「それはいいけど、その前に彼女を俺に紹介してくれよ。お互い好みなんだからさ。」
「分かってるよ、相変わらずしっかりしてるな、宮内」
2人の拳は自然とぶつかりあって、最上級のグラスのような輝きを放っていた。
The End