“You can cut into Naked Lunch at any intersection point…. I have written many prefaces. They atrophy and amputate spontaneous like the little toe amputates in a West African disease confined to the Negro race and the passing blonde shows her brass ankle as a manicured toe bounces across the club terrace, retrieved and laid at her feet by her Afghan Hound….”
コメント
まず分厚くて高いのでなかなか購入できません(笑)コミュ立てた人間がそれでいいんかって話ですが、実際本屋で読みたいとこ立ち読みでパラパラっと見るような。ゴダールが映画見る時みたいな読み方が楽しいというか、実際ドゥルーズ本人もミルプラトーの序文でそれぞれのプラトーは独立して読むことができる、とか書いてますよね。
独特な概念を突然放り投げたかと思ったら、それが生物学的かつ同時にポエティックな比喩とか用いながら体系的に組織されていく、あの感覚がたまらないです。文体自体がまさに「器官なき身体」の実践になっているというかー。
みなさんはじめまして。こんなコミュニティあったんですね!いやー。
僕もやはりみなさんと同じで、気に入った部分をパラパラとめくる感じです。五、六年くらい読んでいるのですが、難解すぎて未だに掴めない部分だらけです(笑)
twistedさんの仰る「あの感覚がたまらない」にはまさに同意です!異質なものが相互浸透していく様というか、それでいてその総体は色々な力がうごめく雲のようなものとしてしか捉えられないというか…ホントにステキですよねー。
「記号と事件」「スピノザにおける表現主義の問題」この
2冊しか読破してません。情けないです。でも、ドゥルーズ
は詩としてあるいは運動のインスピレーションを与える
触媒として使えば、いいんじゃないかなと思うのです。
『記号と事件』所収の「口さがない批評家への手紙」とか、アレはほとんど書簡体の小説としても読めちゃうようなドラマチックな文章という感じがしますねー。
はじめまして。
当方、ドゥルーズをちょびちょび読んでいたので、
面白そうだと思い入ってみました。
たいていの思想書って、主張は主張、比喩は比喩なので、比喩は主張を補強するために使われますが、『アンチ・オイディプス』みたいな本は、そういう関係がそもそも溶解しちゃってるようなところがあって、楽しく読んでます。
読みやすさということで言うと、『アンチ・オイディプス』の「補遺」は、えらく読みやすいですね。最後にあるんだけど、むしろイントロのようにスパーッと読める(warai)。
フランス語は詳しくないのですが、たとえば、フーコーの著作と比べると、『アンチ・オイディプス』は原文もかなり読みやすいのでしょうか? 訳者の違い以上のものを感じるのですが。
フランスでは10万部売れたとか・・・
5万部だったかな・・・
>もけさん
『ミル・プラトー』と『シネマ』と『記号と事件』のいくつかの部分はフランス語の原文でも読んだことがありますが、基礎的な文法能力と辞書があれば読めてしまいますよ。フーコーの方が文法、語法的にはるかに複雑で難しいと思います。
ドゥルーズは動詞の時制とかすごく易しいし、関係代名詞とかもほとんど出てこなくって、短い言い切りの文章がそれこそ「と」だけで結びついてるような感じです。まあ「器官なき身体」とかみたいないわゆる「ドゥルーズ語」みたいなのが出てくると、翻訳されたものが横にないと、ちょっと面食らってしまうかもしれないです。
>twistedさん
ありがとうございます。
文法的には読みやすいんだけど、ドゥルーズ特有の過激な展開があるから、いわゆる”読みやすい”とも言い切れないという感じでしょうか。よく分かります。
『アンチ・オイディプス』は、僕も通して読むことはまずなくて、そのときの気分であちこち開いて楽しんでます。どこを聴いても面白いレコードのあちこちをババッと聴いて楽しむのと同じですね。
『アンチ・オイディプス』や『ミル・プラトー』を読んでいると、あたかも見えないテクノロジーが作動しているような感じがして、気持ちがいいですね。
そして、気持ちよく感じるのは脳であり、脳はリゾームであるという(warai)、そういうハウリングみたいなループも感じたりして。
こんにちは。
酒井隆志だったと思うんですが、ガタリに触れているところで
「ミル・プラトーは、具体的に、イタリアに乱立していた
自由ラジオ局のことをイメージしていた」とあったような
記憶があります。
お邪魔します
(河出なりちくまなりで早く文庫を出すべきだ)と常々思っています
私は適当に当たりをつけて 気に入った章だけコピーして持ち歩く というのが定番でした
けれどもこれを続けると結局全体をコピーしてしまうのではないかという危惧感が…。
はじめまして。
アンチオイディプスとミル・プラトーの文庫化に賛成一票。
トイレで読んだり、ねっころがって読んだりするには、版型に難ありです。マンガを読むようにちょこっと読むのが醍醐味なのに、でかすぎるんじゃあ。腕がだるいよー。
単行本、まだ在庫があるんだと思います。
唐突ですが、ドゥルーズと当時のパリの毛派はどういう関係にあったんでしょうか?
>hiderockさん
どうなんでしょうね。僕も知りたいです。
流れで言えば、ガタリとコンビを組んでいるわけですから、反毛派ですよね。書いている内容もそうだし。
ただ、当時のパリの毛派がどんなものだったのか知らないので、なんとも言えないのですが。
この本は、購入してもいません。
「日本語の訳が酷いから、フランス語出来無いならせめて英語版で読んだほうがいいよ」
と言われて・・・・
原書で読んだ人!!
実際どうなのですか??
ドゥルーズの文体は淡々としている気がします。短い文章を尺取り虫のように積み重ねていく感じです。
アルテで放映された「ドゥルーズのABC」のヴィデオを見て、その謎が解けた気がしました。若い頃から肺病持ちであった彼は、長く息が続かず、一文ずつ休み休み話すのですが、そのリズムが、彼のエクリチュールのリズムも作り上げていると思いました。
もっと若い頃の講義を録音したCDでも、かれは同じ口調でした。問いを立てては、ゆっくり、ゆっくりと答えていく。
まさに教育者=哲学者のディスクールです。
ただしガタリとの共著のこの二冊の文体は、ちょっと違うかもしれません。よく見比べてないので即断できませんが。
日本語の訳についていえば、醜いとは思いません。どうするとそんな意見が出てくるのでしょう。
「それは糞をする」とか、フランス語でもそうですし、語感をもっているネイティヴなら、おそらく、日本語訳と同じくギョとすると思いますよ。その辺も忠実に訳そうとしているのではないかと思います。
もちろんフランス語と翻訳の印象にはギャップはありますが、それも致し方ないことですしね。訳者かなり苦労していると思います。訳語も一つ一つ作り上げて行ったんだろうし。
(どなたかが書いていたように、フランス語版の方がちぎって分割しやすいかもしれません。もっともフランスの本はなぜか軽いので持ち運びに困りませんが。)
少なくとも僕は、フランス語の方がよく分かるから、翻訳なんて読まないよ、などとうそぶくつもりはありません。
どなたがおっしゃったのか存じませんが、なんかその手のことを言いたくなる年頃ってあるんだと思います。(なんて、変な論争にならないことを祈りつつ。)
グルメネコさんの言葉に、力づけられました。
まぁ僕のフランス語出来ないコンプレックス・・・
となんですけど。
僕はサンスクリット語に途中で挫折してから
言語習得の情熱が消えてしまった人間です・・
だって・・お酒飲もう!って誘いが多いから♪
フランス語、読むのは分かりませんが、お酒が入った方が、断然、舌が回りますよ、個人的には。(酔っぱらってそう思っているだけかもしれませんが・・・。)
いや、しかもワインでないといけません。
ビールや焼酎では、おフランスのエスプリは出てきません。
是非、美味しいワインをお試しください。
やっと通読しました…。
17歳の時に読み始めた時の感触が忘れられなくて今でも拾い読み。とりあえずパラパラめくって面白いとこだけ読んでます。それを次第に繰り返していくとだんだん虫食いの穴が広がっていくみたいにわかったところとわかったとこがくっついてわからない部分が使えるようになる、とか・・・・そんな瞬間が楽しいですね。あと、現実的?にちゃんと使ってみるとか・・・・
あと、日本語の訳がひどいというのはあまりありえないと思いますよ。僕は英語版と日本語版しか読んでないですけど、杉村さんがガタリとの対談で通訳をはさんでやっていて、後に通訳をはさまず英語でやりとりするようになるんだけど、これはガタリが使っているフランス語が難解で通訳が訳せないのではなく、通訳曰く「すごくシンプルなフランス語だけど、使われているコンテクストや使用法が特異でうまく訳せない」っていう理由です。つまり、文法的にはシンプルだけど、内容が特異だと。それで英語のやりとりになった・・・・・と。
原著で読んだ方がいいというのにも一理ありますよ。
一つの語でありながら、複数の学問分野においてそれぞれの分野に特化した意味で使われるような学術用語を意識的に多用している(と私には思われます)のですが、翻訳では一つの分野での用語に訳されているので「これではニュアンスが足りない」と思ったことがあります。『ミル・プラトー』の序章などではとくに顕著です。『アンチ・オイディプス』にもたくさん出てきます。
比喩的な文脈に出てくる学術用語の多くは特定の分野の用語を指したものではないように思います。批判的であるときには分野に関わらず樹木的な用語、肯定的であるときには分野に関わらずリゾーム的な用語であると考えてよいでしょう。
翻訳もたいへん役に立ちますが、原著も構文的には難解ではないので、大学でフランス語を履修していた人は一読されるようおすすめします。翻訳と対照しながら読むと読みやすいです。
英語版は読んでませんが、英語なら上記の用語に関する問題はなさそうに思います。
ほんとにこの本は、難解だ。
「欲望する機械」って結局なんでしょう?
>ノリさん
欲望する「機械」は比喩としてとらえたままでいいと思いますよ。ラカンの有名な「無意識は言葉によって構造化されている」というテーゼを思い出してください。ここでは人間は他者から独立した主体なのではなくて、主体こそが言葉によって成り立つがゆえに言葉を話す私たちは「他者」と切り離せないものだという意味がこめられています。いわば「他者の言葉」自体が「私」だというのです。「言葉によって組み立てられた構築物」が「私」だというわけです。ではそのような言葉から成る「私」をどう名指せばよいのか?そこでは「人間」とは名指せない。「人間」という言葉には古い普遍的な主体という意味作用が働いている。そこで「人間」に対抗する言葉として、言葉によって構造化された「機械」という概念をでっち上げたのではないでしょうか?そもそもアンチオイディプスで「分裂症」が導入されているのは、近代的ながっちりしたもの思想に対抗するためなのだと思います。欲望する「機械」もその流れにのったもので近代的ながっちりした主体という概念に対抗するために考え出された概念なのだと思います。
ありがとう。とてもいい説明です。
でも、近所の本屋さんにラカンは売ってないんだ。
今日ちょうど授業で「アンチ・オイデプス」などを扱いました。はっきりいって難しすぎます。みなさんのおっしゃる通り、文体が難しいというよりもその内容が。multiplicity やconnectionを重視するドゥルーズの文体のconnectionが見えません。
英語の本でやってますが、周りのネイティブもあまりわかってないようなので、語学の問題だけではないと痛感しました。哲学の専門家になりたいわけではないので、おもしろい概念や考えを社会科学の分野で応用したり、刺激を与えられたらなと思って、読んでます。
ぼくも専門というわけではなく、読んでます。ぼくの場合はSFや文学の教養一環というかたちで、書いている小説の補正的な意味あいもあります。難しいというのは確かにわかるんですが、これは「現代の統括的物語」だという了解で、どうもバラードの「残虐行為博覧会」あたりの横断感覚と共通した物語口調を感じます。
表現や概念や考え方がなれてくると、とても面白くて、興奮しながら読んでいますが、日本人としての自分に当て嵌めると、果たしてどこまで妥当か―というのは、もうすこし時間をかけて、内部咀嚼してみる必要があるかな。
バラードやアルトー、ミラーやフロイトや蓮實や浅田といった周辺書物に眼を通しておくと、理解しやすい気はします。
刺激的で貴重で奇妙な一冊で、長い時間をかけて、付き合いたいとは思っています。
はじめまして,10年以上の年月,拾い読みしているものです。
ミルプラトーと共に終焉を迎えるつもりです。
はじめまして
器官なき身体云々
こまぎれの文体等々
本日、切断された足の小指にまつわることを調べていて、バロウズの裸のランチにも重なるように思えました
ポスト構造主義とビート文学(もしくはCut-upテクニック?(ただし、W.S.バロウズは別格かもしれません)
キ−ワードは拾い読みでしょうか
ゴダール等ヌーベルバーグの作品にみられるコマ落ち、唐突なモンタージュにも繋がるような
“You can cut into Naked Lunch at any intersection point…. I have written many prefaces. They atrophy and amputate spontaneous like the little toe amputates in a West African disease confined to the Negro race and the passing blonde shows her brass ankle as a manicured toe bounces across the club terrace, retrieved and laid at her feet by her Afghan Hound….”