こんちは! 多分まだ絶版じゃないと思いますよ。僕は中学1年のときにはじめて読みました。スパゲティの茹で方この本で覚えました。
しかし、モノンクルを知っている人がいるとはうれしい限り。
これからよろしくお願いします。
『ヨーロッパ退屈日記』は文春文庫のロングセラーで、まだ絶版にはなってないようです。私は浪人中、伊丹十三のエッセイと大島弓子の漫画を心の支えに予備校通いをしてました。パソコンどころかウォークマンすらまだなかった時代…。
ヘンリーさん:いらしゃいませ。そう言えば携帯もビデオもなかったんですね。
ところで退屈日記の後書きで山口瞳が、伊丹を評して
「私は、彼と一緒ににいると「男性的で繊細で真面目(まとも)な人間がこの世に生きられるか」と言う痛ましい実験を見る思いがする。」と書いています。あらためて読むと感慨深いものがあります。山口瞳の懸念が当たってしまったのでしょうか?
はじめまして。
「ヨーロッパ退屈日記」は版元にもないとのことですよ。(新宿南口の紀伊国屋書店店員イワク)どちらが正しいのでしょうか。願わくば、絶版ではありませんように。先日、部屋の整理に勤しんでいた私は、本作が見つからなかったので、古本屋で探して取り寄せました。
「マスコミさんって、一体、どういう人なの?」40年前の「小噺」は、未だに日本では有効ですね。英語の発音教科書としても、大いに役に立ちます。
AMAZONでまだ買えるし、文芸春秋のサイトを見てもまだリストアップされているので絶版ではないでしょう。
はじめまして。参加させていただきます。
伊丹十三氏を、サトウサンペイ氏と並んで日本の二大エッセイストだと評したのは誰だったか忘れましたがなるほどどちらも、他人には書けない個性を持っている人ではありました。
伊丹氏の場合、人はどう生きるべきか、正統な道筋は何か、プロの仕事とは何か…といった、普通の人なら考えることを放棄してしまう問題に生涯こだわり続けた人だったのでしょう。
そのこだわりが幸福な人生につながったとは思えません。みずから命を絶ってしまったのもそのあたりと関係があるのでしょうし。
ただそういう人だったからこそ、あれほどの、物事に興味が湧いてくるようなウンチクエッセイや、「自分たちよ!」に収録されているような、悩みの本質から逃げない人生相談を書くことができたのだろうと思います。
こだわる生き方とこだわらない生き方と、どちらが良いのだろうかと考えてしまいます。
はじめまして。伊丹十三氏のエッセイについて語れる場所があったとは、感激しています。謹んで参加させていただきます。よろしく。『ヨーロッパ退屈日記』は、僕も高校時代、何度も読みました。ミルクティーの入れ方など一生懸命まねしたものでした。当時の世の中の通俗的な価値観に対して小気味よく批判されていて、夢中になっていました。
氏のエッセイはもう少し後の「女たちよ」とか「日本世間噺大系」などの通俗的な価値観に対して寛容になってきた頃の作品も味わい深く好きです。
はじめまして。嬉しくなって思わず参加させていただきます。
実は、氏の最期が最期だっただけに、自分の中で封印していました。『ヨーロッパ退屈日記』・・なつかしいな〜。私も、予備校時代の心の友でした。友というか、足長おじさんでしたね。
あの年頃は本物志向に憧れたり、普遍的な価値観をどこかで捜していたりという具合だったのですが、氏のエッセイはそんな自分をキューッと引き寄せてくれた感じでした。 ただの薀蓄話に終わらないあの面白さは、今読んでも変わりませんね。私は、氏のエッセイにフランス料理の食べ方や、女のたしなみについて教わったのでした。
抑え気味でどこかスタイリッシュな文章はやっぱりいいな〜と思います。また、読み直したくなりました。
はじめまして。(しかも大文字のYASUさんまでいらっしゃいますのね。どきどき)yasuと申します。先日フランスに行く機会があったので、ヨーロッパ退屈日記を連れて行きました。購入したのは随分前ですが、旅の空の下で読むと、こんなことも書いていたのかと新しい感動もありました。(ちゃんと読み込んでなかったのか?)パリジェンヌに到底なれないのなら、日本女子としてみっともなくならないよう振舞うため、ほぼバイブルのように読んでおりました。
はじめまして。最近友人が胆石で入院中に「何か面白い本を差し入れてくれ」との希望に迷わず選んだ「退屈日記」。自信満々に手渡したところ、翌日早速感謝の言葉を返してもらえました。未だに初見でも魅力がある本なんだなぁ、と感激しました。で、本棚を引っくり返したついでに「世間話大系」や「小説より奇なり」を読み返しましたら、昔と違った味わいが、、、。お勧めです。
はじめまして。こんなコミュニティがあるなんて!
映画は勿論、「女たちよ!」が好きすぎて好きすぎて。食べ物がどれも美味しそうで。イラストも最高に好きです。
しかし「退屈日記」を常々探しているのですが、なかなか巡りあえません。早く読みたい。
はじめまして。こんにちは。伊丹十三と景山民夫が自分にとっての二大エッセイストでございます。
最近の方々には映画監督としての印象が圧倒的に強い彼ですが、その本質はエッセイにあると思うのでこのコミュは大変嬉しいです。
寒いヨーロッパではシャワーの際に熱湯にしてオシリからそーっと入るという話や、耳にレモン(?)を刺しているのでよく聞こえませんの話はたしか「ヨーロッパ退屈日記」だったかな?あらゆる意味で視野が広がった気がしました。
でも一番すきなのはハシーモさんもお勧めの「日本世間噺大系」です。文春文庫のを持っておりますが、今まで何度読み返したかわかりません。エッセイありの小説ありの対談ありの伊丹ここにあり!という内容になっていますよ。
はじめまして。伊丹十三さんのエッセイを始めて読んだのは、もう30年も前の学生時代でした。ずいぶんいろいろな面で影響を受けたと思います。ヨーロッパ〜の中の「エランのために」の一文がずっと自分の中で発酵していて、とうとうエランを買ってしまった次第です。その車の前のオーナーが麻布にお住まいだったのもなんだか因縁っぽかったです。伊丹さんは、たしか狸穴あたりにお住まいで、きっと麻布あたりは、60年代ころに、エランで走っていたことでしょうから。
TAKAさん、いいですねぇ。エラン、買われたのですかぁ。うらやましい限りです。伊丹十三さんのエッセイは「クルマ好き」に響く文章が多いと思いますね。MG-TD(TFかな?)のイラストや、ジャギュア(!)の発音指南。
読んだ当時は最新型のクルマへの興味のほうが強かったのですが、現在ではエランやMG-TDのほうに食指がそそられますね。
こんにちは。伊丹さんて、スポーツカーなどについての文章も日本のさきがけだったのではと思います。車自体のことというより、スポーツカーのスピリッなど、車とのオシャレな生活といったことについて、今では当たり前のようになっていることでも、まだマイカーが夢だった時代にいち早く書いていたと思います。
もちろんそうですよね!私はリアルタイムの読者ではなかったので、発表された当時の時代背景はわからないのですが、「退屈日記」を読んだ時点で既に粋がってドライビンググローブなどを装着していました。もちろんピッグスキンです。ミドルクラス以下なので!(笑)今の時代になっても、ペッカリーのドライビンググローブなどは、見た事がありませんもの。それどころか、現在は素手でハンドルを握っています(笑)。
話かわって。古本屋に行くと必ず「伊丹十三」のコーナーをチェックして、あればだいたい購入するのですが(だぶっても)、先日は「退屈日記」の初版本をブックオフで発見、購入しました。(ラッキー!)
今「退屈日記」を見返したのですが、前述のイラストの件、MG-TDではなくMG-PAみたいですね。これも未確認ですが。。。
訂正したら、スピリッ になってました。スピリットでした^^
はい〜、僕もドライビンググローブは伊丹氏の影響うけてます。ペッカリーのドライビンググローブは少ないのですよね〜。冬場は、ドライビングではない、普通の1枚革のペッカリーの手袋でエランを運転したりします。その他はカーフのドライビングが多いかな。エルメスに、すごくいい革質のペッカリーのハーフカットのドライビングがあるのですが、いかんせんお高いです^^;
僕も、最初に読んだのは75年ごろですので、ヨーロッパ〜は、リアルタイムではありません。ただ、文庫ではなく、新書版くらいの本でした。
先日「古本探偵」にお願いして「フランス料理をあなたと」を探していただき、購入しました。20代前半の頃に買ってすぐに友人に貸して、返却されずに、そのままになっていたのです。「考える人」の「伊丹十三特集」でもまったく触れられていなくて、その本の存在すら忘れかけていたのですが、ようやく手許に戻ってきて、これから楽しもうと思っています。
写真と文章で構成された、オールカラーの豪華な本ですよ。(値段の割には、ですが。笑)
新潮文庫から退屈日記・女たちよ・問い詰められたパパとママの本の3冊が28日に出るみたいです。まだみたいとしか言えませんが。新潮のサイトにまだ出てないので。
亜鉛さん、情報ありがとうございます!最近本棚をチェックしていて「女たちよ!」が無くなっているのに気付いたのですが、本屋はもちろん、古本屋でも見つけられず諦めていたのです。
未定だそうですが、一安心!(笑)
大江健三郎から伊丹十三へと入りました。『ヨーロッパ退屈日記』から読み始めましたが、皆さんも書かれているとおり、伊丹十三のエッセイは最高ですね。とくに『女たちよ!』などを読むと、「これは完全無欠なエッセイだ!」と感嘆の念を禁じえません。
あと『再び女たちよ!』の冒頭の「女とはなにか?」で始まる一文。これを読むと、自分が女性に感じることを一分のズレもなくパーフェクトに表現してもらったという快感を覚えます。
伊丹十三のエッセイはすばらしい。だから、読むたび、彼の不在を惜しむ気持ちが新たにわきおこります。
えっ!新潮文庫から・・!?最近ようやくアマゾンで「退屈日記」手にいれたところでした。幸い「女たちよ!」は初版を持ってますが、他を揃えるのはなかなか難しいので、有り難いです。
亜鉛さん情報ありがとうございます。
そういえば、伊丹映画もBOXセットがでますね。高いけど・・
こまごま子さん、『女たちよ!』って、女性が読んでも面白い・楽しめる本なんですね。完全に男の視点で書かれているので「なに勝手なこと言って」という感じに見えるのかと思ってましたが、それとも「ふむふむ男はこんなことを考えておるのか」と好奇心が満たされる感じなんでしょうかね。あるいは、「男も女も同じようなものだな」という感じかな。
大江健三郎の子供の名前を考える項は、おかしいですよね。『戸祭』とすると、「大江戸祭」になる、なんて^^
その子供さんが、光さんだったのでしょうか。
kunioさん:「女たちよ!」は幼い時から家にあったので、なんとなく読んでましたが1度も「女を馬鹿にしてる!」とかは思ったことありませんねえ。
むしろ勉強になるような気もしますが、絶対無理だよそんなのというような所も多く・・
最後の「配偶者を求めております」という所が好きです。こんな人になりたいけど、今の所当てはまるのは「お酒を飲む」事と「猫を愛す」事だけですね〜
「配偶者を求めております」は、男のファンタジーというか、目いっぱいのワガママを並べてみたって感じですね。しかし、宮本信子さんは、きっとあの条件の多くを満たしていたんでしょうね。
その頃は、まだ岸田秀の心理学にも出会ってなかったんじゃないかな。心理学に深入りした以降の伊丹十三では「女たちよ!」は書けないような気がします。
お子さんができて、その子育ての過程での疑問から心理学に興味を持ったのかもしれませんね。
「配偶者〜」の最後はたしか2回り下が9歳 ということは24+9=33歳の時の文章なんですよね。老成していたというか。。
ひさしぶりに「女たちよ!男たちよ!子供たちよ!」を読んでいます。初見の際は子供どころか、未婚でしたので、書いてある内容の三分の一もわかっていなかったのだなぁ、と感慨新たです。
子供を持って(この言い方がダメかな?笑)あらためて読み返すと、往時の伊丹氏の子育ての悩みが手にとるようにわかります。
エッセイの内容が伊丹氏とともにグロウイングアップしている様子が面白いです。
僕は独身のころに読んで、子供ができたときにとても参考になりました。
TAKAさん「2回り下が9歳 ということは24+9=33歳の時」
う、そんなに若い頃の本だったのかあ。『自分たちよ!』には、岸田秀の本とは40いくつかでであったとありましたから、やはり心理学以前の伊丹十三による本なんですね、『女たちよ!』は。自分で「数をこなすタイプだった」とどこかで言ってましたから、豊富な女性経験にたっての達観みたいなものが込められているんでしょうねえ。
元祖プレーボーイみたいなところがあったと思いますが^^かっこよかったですもんね、若い頃(その後もですけど)
はじめまして!私の場合は、映画監督デビューのずっと前に、まず活字から伊丹十三ワールドに入りました。文面から俳優だという事はわかっていても、普段積極的に映画を見たりしないたちだったので、実物(もちろんメディアを通してです)を拝見したのは随分後のことでした。TAKAさんの書いていらっしゃる事に水を差すようで大変申し訳ないのですが…私にとっては、あまりかっこよくはありませんでした(笑)。でも、内面の充実した方なのですから、もしも本物と接する機会(ありそうにないですが)があったら、すっかり魅入られていたかもしれませんね。
洗濯竿の中から繋がって干してある洗濯物の中の自分の取り込みたいものだけを、いかにしてうまく外すか、なんて映画の中でだめンズやってたり、嫌〜な男の暗い最後の首吊り自殺をやってたり、「北の国から」で蛍ちゃんたちの大好きなお母さんの再婚相手をやってたりするのも見ましたが、いい役者さんだとは思いつつ、好きという程の気持ちにはなりませんでした。
もちろんご著書は読み続けましたし、影響も受けたと思いますし、『お葬式』それ以後の映画も、これは積極的に見ました。
私にとって監督は、そんな方でした。自殺(真相はどうだったのでしょう?)は心から残念に思います。
由美子さん、物干しのやり方の薀蓄って、『もう頬づえはつかない』でのエピソードでしたっけ。あの映画のは、隣り合わせの洗濯物を1つの洗濯ばさみで挟むことによって洗濯ばさみを節約するという話だったような気がするんですが、違ったかな。
僕は伊丹十三ってカッコいいと思いますが、美形とかハンサムとかっていう感じとはちょっと違うかもしれないですね。由美子さんにとってのかっこいい男優は、たとえばどういうタイプですか?
久々にまた読みたくなって、『日本世間噺大系』などひっぱり出してみました…きっと、こういうのも映画制作の部品になっているんでしょうね。私の文庫本、いつの間にか、ページが黄ばんでいました(^^;)。
>かっこいい男優
咄嗟に思いつきません。私、どなたのファンというのでもなくて…
今日は『ヨーロッパ退屈日記』を読み返してみることにします。
新潮社から、伊丹十三本(ムック?)が発売されるようです。考える人編集部編で、伊丹氏行きつけのお店や、その他色々網羅した本らしいです。楽しみです。
由美子さん>きっと、こういうのも映画制作の部品になっているんでしょうね。
確か伊丹さん自身が、監督業以前にやっていたさまざまな仕事は、結果的にはすべて映画作りの準備になっていた、というようなことを言っていたように思います。
マサイさん>新潮社から、伊丹十三本(ムック?)が発売されるようです。
これは耳寄りな情報! 楽しみですね。
3月2日 発売です。文庫本。
http://www.shinchosha.co.jp/bunko/sokuho.html
文庫出ましたね。女たちよ!は表紙のデザインが変わってます。文春文庫版矢吹申彦の方がよかったかな・・・。
昨日の朝日夕刊に、宮本信子さんの記事が出てましたね。最近になってやっと伊丹十三のことを話せるようになったと言ってました。
コメント
こんちは! 多分まだ絶版じゃないと思いますよ。
僕は中学1年のときにはじめて読みました。
スパゲティの茹で方この本で覚えました。
しかし、モノンクルを知っている人がいるとはうれしい限り。
これからよろしくお願いします。
『ヨーロッパ退屈日記』は文春文庫のロングセラーで、まだ絶版にはなってないようです。
私は浪人中、伊丹十三のエッセイと大島弓子の漫画を心の支えに予備校通いをしてました。
パソコンどころかウォークマンすらまだなかった時代…。
ヘンリーさん:いらしゃいませ。
そう言えば携帯もビデオもなかったんですね。
ところで退屈日記の後書きで山口瞳が、伊丹を評して
「私は、彼と一緒ににいると「男性的で繊細で真面目(まとも)な人間がこの世に生きられるか」と言う痛ましい実験を見る思いがする。」と書いています。あらためて読むと感慨深いものがあります。
山口瞳の懸念が当たってしまったのでしょうか?
はじめまして。
「ヨーロッパ退屈日記」は版元にもないとのことですよ。
(新宿南口の紀伊国屋書店店員イワク)どちらが正しいのでしょうか。
願わくば、絶版ではありませんように。
先日、部屋の整理に勤しんでいた私は、本作が見つからなかったので、
古本屋で探して取り寄せました。
「マスコミさんって、一体、どういう人なの?」
40年前の「小噺」は、未だに日本では有効ですね。
英語の発音教科書としても、大いに役に立ちます。
AMAZONでまだ買えるし、文芸春秋のサイトを見てもまだリストアップされているので絶版ではないでしょう。
はじめまして。参加させていただきます。
伊丹十三氏を、サトウサンペイ氏と並んで日本の二大エッセイストだと評したのは誰だったか忘れましたが
なるほどどちらも、他人には書けない個性を持っている人ではありました。
伊丹氏の場合、人はどう生きるべきか、正統な道筋は何か、プロの仕事とは何か…といった、普通の人なら考えることを放棄してしまう問題に生涯こだわり続けた人だったのでしょう。
そのこだわりが幸福な人生につながったとは思えません。みずから命を絶ってしまったのもそのあたりと関係があるのでしょうし。
ただそういう人だったからこそ、あれほどの、物事に興味が湧いてくるようなウンチクエッセイや、「自分たちよ!」に収録されているような、悩みの本質から逃げない人生相談を書くことができたのだろうと思います。
こだわる生き方とこだわらない生き方と、どちらが良いのだろうかと考えてしまいます。
はじめまして。伊丹十三氏のエッセイについて語れる場所があったとは、感激しています。
謹んで参加させていただきます。よろしく。
『ヨーロッパ退屈日記』は、僕も高校時代、何度も読みました。ミルクティーの入れ方など一生懸命まねしたものでした。
当時の世の中の通俗的な価値観に対して小気味よく批判されていて、夢中になっていました。
氏のエッセイはもう少し後の「女たちよ」とか「日本世間噺大系」などの通俗的な価値観に対して寛容になってきた頃の作品も味わい深く好きです。
はじめまして。嬉しくなって思わず参加させていただきます。
実は、氏の最期が最期だっただけに、自分の中で封印していました。
『ヨーロッパ退屈日記』・・なつかしいな〜。
私も、予備校時代の心の友でした。
友というか、足長おじさんでしたね。
あの年頃は本物志向に憧れたり、普遍的な価値観をどこかで捜していたりという具合だったのですが、氏のエッセイはそんな自分をキューッと引き寄せてくれた感じでした。
ただの薀蓄話に終わらないあの面白さは、今読んでも変わりませんね。私は、氏のエッセイにフランス料理の食べ方や、女のたしなみについて教わったのでした。
抑え気味でどこかスタイリッシュな文章はやっぱりいいな〜と思います。
また、読み直したくなりました。
はじめまして。(しかも大文字のYASUさんまでいらっしゃいますのね。どきどき)yasuと申します。
先日フランスに行く機会があったので、ヨーロッパ退屈日記を連れて行きました。購入したのは随分前ですが、旅の空の下で読むと、こんなことも書いていたのかと新しい感動もありました。(ちゃんと読み込んでなかったのか?)
パリジェンヌに到底なれないのなら、日本女子としてみっともなくならないよう振舞うため、ほぼバイブルのように読んでおりました。
はじめまして。最近友人が胆石で入院中に「何か面白い本を差し入れてくれ」との希望に迷わず選んだ「退屈日記」。自信満々に手渡したところ、翌日早速感謝の言葉を返してもらえました。未だに初見でも魅力がある本なんだなぁ、と感激しました。で、本棚を引っくり返したついでに「世間話大系」や「小説より奇なり」を読み返しましたら、昔と違った味わいが、、、。お勧めです。
はじめまして。
こんなコミュニティがあるなんて!
映画は勿論、「女たちよ!」が好きすぎて好きすぎて。
食べ物がどれも美味しそうで。
イラストも最高に好きです。
しかし「退屈日記」を常々探しているのですが、なかなか巡りあえません。早く読みたい。
はじめまして。こんにちは。
伊丹十三と景山民夫が自分にとっての二大エッセイストでございます。
最近の方々には映画監督としての印象が圧倒的に強い彼ですが、
その本質はエッセイにあると思うのでこのコミュは大変嬉しいです。
寒いヨーロッパではシャワーの際に熱湯にしてオシリからそーっと入るという話や、
耳にレモン(?)を刺しているのでよく聞こえませんの話はたしか
「ヨーロッパ退屈日記」だったかな?あらゆる意味で視野が広がった気がしました。
でも一番すきなのはハシーモさんもお勧めの「日本世間噺大系」です。
文春文庫のを持っておりますが、今まで何度読み返したかわかりません。
エッセイありの小説ありの対談ありの伊丹ここにあり!という
内容になっていますよ。
はじめまして。
伊丹十三さんのエッセイを始めて読んだのは、もう
30年も前の学生時代でした。
ずいぶんいろいろな面で影響を受けたと思います。
ヨーロッパ〜の中の「エランのために」の一文が
ずっと自分の中で発酵していて、とうとうエランを
買ってしまった次第です。
その車の前のオーナーが麻布にお住まいだったのも
なんだか因縁っぽかったです。伊丹さんは、たしか
狸穴あたりにお住まいで、きっと麻布あたりは、
60年代ころに、エランで走っていたことでしょうから。
TAKAさん、いいですねぇ。エラン、買われたのですかぁ。うらやましい限りです。
伊丹十三さんのエッセイは「クルマ好き」に響く文章が多いと思いますね。MG-TD(TFかな?)のイラストや、ジャギュア(!)の発音指南。
読んだ当時は最新型のクルマへの興味のほうが強かったのですが、現在ではエランやMG-TDのほうに食指がそそられますね。
こんにちは。
伊丹さんて、スポーツカーなどについての文章も
日本のさきがけだったのではと思います。
車自体のことというより、スポーツカーのスピリッなど、
車とのオシャレな生活といったことについて、
今では当たり前のようになっていることでも、まだ
マイカーが夢だった時代にいち早く書いていたと思います。
もちろんそうですよね!
私はリアルタイムの読者ではなかったので、発表された当時の時代背景はわからないのですが、「退屈日記」を読んだ時点で既に粋がってドライビンググローブなどを装着していました。もちろんピッグスキンです。ミドルクラス以下なので!(笑)
今の時代になっても、ペッカリーのドライビンググローブなどは、見た事がありませんもの。
それどころか、現在は素手でハンドルを握っています(笑)。
話かわって。古本屋に行くと必ず「伊丹十三」のコーナーをチェックして、あればだいたい購入するのですが(だぶっても)、先日は「退屈日記」の初版本をブックオフで発見、購入しました。(ラッキー!)
今「退屈日記」を見返したのですが、前述のイラストの件、MG-TDではなくMG-PAみたいですね。これも未確認ですが。。。
訂正したら、スピリッ になってました。スピリット
でした^^
はい〜、僕もドライビンググローブは伊丹氏の影響うけて
ます。ペッカリーのドライビンググローブは少ないの
ですよね〜。冬場は、ドライビングではない、普通の
1枚革のペッカリーの手袋でエランを運転したりします。
その他はカーフのドライビングが多いかな。
エルメスに、すごくいい革質のペッカリーのハーフカット
のドライビングがあるのですが、いかんせんお高いです^^;
僕も、最初に読んだのは75年ごろですので、ヨーロッパ〜
は、リアルタイムではありません。ただ、文庫ではなく、
新書版くらいの本でした。
先日「古本探偵」にお願いして「フランス料理をあなたと」を探していただき、購入しました。
20代前半の頃に買ってすぐに友人に貸して、返却されずに、そのままになっていたのです。
「考える人」の「伊丹十三特集」でもまったく触れられていなくて、その本の存在すら忘れかけていたのですが、ようやく手許に戻ってきて、これから楽しもうと思っています。
写真と文章で構成された、オールカラーの豪華な本ですよ。(値段の割には、ですが。笑)
新潮文庫から退屈日記・女たちよ・問い詰められたパパとママの本の3冊が28日に出るみたいです。まだみたいとしか言えませんが。新潮のサイトにまだ出てないので。
亜鉛さん、情報ありがとうございます!
最近本棚をチェックしていて「女たちよ!」が無くなっているのに気付いたのですが、本屋はもちろん、古本屋でも見つけられず諦めていたのです。
未定だそうですが、一安心!(笑)
大江健三郎から伊丹十三へと入りました。
『ヨーロッパ退屈日記』から読み始めましたが、皆さんも書かれているとおり、伊丹十三のエッセイは最高ですね。とくに『女たちよ!』などを読むと、「これは完全無欠なエッセイだ!」と感嘆の念を禁じえません。
あと『再び女たちよ!』の冒頭の「女とはなにか?」で始まる一文。これを読むと、自分が女性に感じることを一分のズレもなくパーフェクトに表現してもらったという快感を覚えます。
伊丹十三のエッセイはすばらしい。だから、読むたび、彼の不在を惜しむ気持ちが新たにわきおこります。
えっ!新潮文庫から・・!?
最近ようやくアマゾンで「退屈日記」手にいれたところでした。
幸い「女たちよ!」は初版を持ってますが、他を揃えるのは
なかなか難しいので、有り難いです。
亜鉛さん情報ありがとうございます。
そういえば、伊丹映画もBOXセットがでますね。
高いけど・・
こまごま子さん、『女たちよ!』って、女性が読んでも面白い・楽しめる本なんですね。完全に男の視点で書かれているので「なに勝手なこと言って」という感じに見えるのかと思ってましたが、それとも「ふむふむ男はこんなことを考えておるのか」と好奇心が満たされる感じなんでしょうかね。あるいは、「男も女も同じようなものだな」という感じかな。
大江健三郎の子供の名前を考える項は、おかしいですよね。
『戸祭』とすると、「大江戸祭」になる、なんて^^
その子供さんが、光さんだったのでしょうか。
kunioさん:
「女たちよ!」は幼い時から家にあったので、なんとなく読んでましたが
1度も「女を馬鹿にしてる!」とかは思ったことありませんねえ。
むしろ勉強になるような気もしますが、
絶対無理だよそんなのというような所も多く・・
最後の「配偶者を求めております」という所が好きです。
こんな人になりたいけど、今の所当てはまるのは
「お酒を飲む」事と「猫を愛す」事だけですね〜
「配偶者を求めております」は、男のファンタジーというか、目いっぱいのワガママを並べてみたって感じですね。しかし、宮本信子さんは、きっとあの条件の多くを満たしていたんでしょうね。
その頃は、まだ岸田秀の心理学にも出会ってなかったんじゃないかな。心理学に深入りした以降の伊丹十三では「女たちよ!」は書けないような気がします。
お子さんができて、その子育ての過程での疑問から
心理学に興味を持ったのかもしれませんね。
「配偶者〜」の最後はたしか
2回り下が9歳 ということは24+9=33歳の時の
文章なんですよね。老成していたというか。。
ひさしぶりに「女たちよ!男たちよ!子供たちよ!」を読んでいます。
初見の際は子供どころか、未婚でしたので、書いてある内容の三分の一もわかっていなかったのだなぁ、と感慨新たです。
子供を持って(この言い方がダメかな?笑)あらためて読み返すと、往時の伊丹氏の子育ての悩みが手にとるようにわかります。
エッセイの内容が伊丹氏とともにグロウイングアップしている様子が面白いです。
僕は独身のころに読んで、子供ができたときに
とても参考になりました。
TAKAさん
「2回り下が9歳 ということは24+9=33歳の時」
う、そんなに若い頃の本だったのかあ。
『自分たちよ!』には、岸田秀の本とは40いくつかでであったとありましたから、やはり心理学以前の伊丹十三による本なんですね、『女たちよ!』は。自分で「数をこなすタイプだった」とどこかで言ってましたから、豊富な女性経験にたっての達観みたいなものが込められているんでしょうねえ。
元祖プレーボーイみたいなところがあったと思いますが^^
かっこよかったですもんね、若い頃(その後もですけど)
はじめまして!私の場合は、映画監督デビューのずっと前に、まず活字から伊丹十三ワールドに入りました。文面から俳優だという事はわかっていても、普段積極的に映画を見たりしないたちだったので、実物(もちろんメディアを通してです)を拝見したのは随分後のことでした。TAKAさんの書いていらっしゃる事に水を差すようで大変申し訳ないのですが…私にとっては、あまりかっこよくはありませんでした(笑)。でも、内面の充実した方なのですから、もしも本物と接する機会(ありそうにないですが)があったら、すっかり魅入られていたかもしれませんね。
洗濯竿の中から繋がって干してある洗濯物の中の自分の取り込みたいものだけを、いかにしてうまく外すか、なんて映画の中でだめンズやってたり、嫌〜な男の暗い最後の首吊り自殺をやってたり、「北の国から」で蛍ちゃんたちの大好きなお母さんの再婚相手をやってたりするのも見ましたが、いい役者さんだとは思いつつ、好きという程の気持ちにはなりませんでした。
もちろんご著書は読み続けましたし、影響も受けたと思いますし、『お葬式』それ以後の映画も、これは積極的に見ました。
私にとって監督は、そんな方でした。自殺(真相はどうだったのでしょう?)は心から残念に思います。
由美子さん、物干しのやり方の薀蓄って、『もう頬づえはつかない』でのエピソードでしたっけ。あの映画のは、隣り合わせの洗濯物を1つの洗濯ばさみで挟むことによって洗濯ばさみを節約するという話だったような気がするんですが、違ったかな。
僕は伊丹十三ってカッコいいと思いますが、美形とかハンサムとかっていう感じとはちょっと違うかもしれないですね。由美子さんにとってのかっこいい男優は、たとえばどういうタイプですか?
久々にまた読みたくなって、『日本世間噺大系』などひっぱり出してみました…きっと、こういうのも映画制作の部品になっているんでしょうね。私の文庫本、いつの間にか、ページが黄ばんでいました(^^;)。
>かっこいい男優
咄嗟に思いつきません。私、どなたのファンというのでもなくて…
今日は『ヨーロッパ退屈日記』を読み返してみることにします。
新潮社から、伊丹十三本(ムック?)が発売されるようです。
考える人編集部編で、伊丹氏行きつけのお店や、その他色々
網羅した本らしいです。楽しみです。
由美子さん
>きっと、こういうのも映画制作の部品になっているんでしょうね。
確か伊丹さん自身が、監督業以前にやっていたさまざまな仕事は、結果的にはすべて映画作りの準備になっていた、というようなことを言っていたように思います。
マサイさん
>新潮社から、伊丹十三本(ムック?)が発売されるようです。
これは耳寄りな情報! 楽しみですね。
3月2日 発売です。文庫本。
http://www.shinchosha.co.jp/bunko/sokuho.html
文庫出ましたね。
女たちよ!は表紙のデザインが変わってます。
文春文庫版矢吹申彦の方がよかったかな・・・。
昨日の朝日夕刊に、宮本信子さんの記事が出てましたね。最近になってやっと伊丹十三のことを話せるようになったと言ってました。