マリヴォーを上演したきっかけ

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  1. なるぞう より:

     私は台本を生徒に渡した後、必ず聞くことがあります。

    「どう? おもしろいだろ? さ、あとはこの本のおもしろさをそのまま演じてくれ。頼むから、台本の面白さを損なわないでくれよな?」

     生徒たちは、マリヴォーを「おもしろい!」と一発で気に入りました。

     マリヴォー作品の数々は、コメディア・デ・ラルテ(イタリア人劇団)のために書き上げられたものです。

     ここにマリヴォー作品のわかりやすさがあります。

     シルビア=若くて可愛い女の子(貴族)

     ドラント=二枚目でまじめな貴族(貴族)

     アルルカン=道化(平民)

     リゼット=頭が回る小娘(平民)

     デ・ラルテの特徴は、作品が変わろうと、これらの配役はいつも同じということです。

     つまり、キャラクターがすごくはっきりしてるんですね。

     日本人に一番わかりやすい例は、手塚治虫の漫画においては、ランプ=悪党、ヒゲオヤジ=人情味溢れる頑固親父、ロック=冷徹な天才肌の悪党…と決まっていて、あらゆる作品に登場します。デ・ラルテのキャスティングというのはこれと同じですね。

     さて、実際に『お戯れ』の稽古に入ってみると、みんな、かなり堅いんです。

     「古典をやってる!」という意識の堅さが、芝居の硬さにつながってるんですね。

     いわゆる新劇の芝居の感覚でやってしまうと、『お戯れ』は2時間30分かかってしまいます。これはもう、かったるいの一言。みんな、堅苦しく考えすぎてるんです。

     これはもう、「オイオイ」でした。

     でも、まぁ、これは日本人共通の古典に対するイメージなんです。

     そして、そのイメージの正体はシェイクスピアなんですねー。

     みんな、シェイクスピアは知ってる。

     でも、それは中途半端に知ってるだけなんです。

     テレビのバラエティやCMの1シーンで「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」「尼寺へ行け!」「ああ、ロミオ、あなたはなぜにロミオなの」…こういった1シーンを知ってるだけで、本当にシェイクスピアをしっかりと観たことが無い。

     ピーター・ブルックの『なにもない空間』を知らない。

     出口演出によるシェイクスピア作品群を知らない。

     知ってるのは、中途半端な1シーンのみ。その1シーンも、ほとんどは時代がかった大仰なもの。(パロディですからねえ)

     マリヴォーの演出とは、彼らのそのイメージとの戦いだといっても過言ではありませんでした。