神秘学概論

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コメント

  1. えぐかつ より:

    シュタイナーの思想ということで、この概論に書かれていることを取り上げるという主旨は理解しますが、私見を言わせてもらうと、この手の「シュタイナーの思想」というものについてはあくまでもひとつのアナロジーであって、架空のファンタジーとして捉えた方がよいのではないかと考えています。

    にもかかわらずシュタイナーという人物がこのように時代・国籍を超えてまで支持される理由というものを、もう少し掘り下げてみたいなと考えますが、みなさんの意見はいかがでしょうか。

  2. 泰秀 より:

    >えぐかつさん

    はじめまして。

    確かに、これらの概念は抽象的ですよね。

    私自身、信じても否定してもいません。

    シュタイナーについて、どんどん掘り下げてください。

    各国の時代的背景、環境、シュタイナー思想がどのような形でその社会に受け入れられていったのか。

    それには凄く興味があります。

    まだ、受け入れられている段階だとも思いますし。

  3. 梅崎幸吉 より:

    泰秀さん、初めまして。梅崎幸吉と申します。

    >今後は火星紀へ移行していく

    次は木星紀ですね。

    で、現在にあるような鉱物界は消えてエーテル体が

    基盤となります。

    簡単に言えば以心伝心の世界です。

    現在これは少数によって進行中です。

    速読もいいのですがシュタイナーに関してはもっと熟読されたほうがよろしいかと思います。

    最後はヴォルカン紀です。これは遠い未来の人類の遥かな高みの意識状態です。

    でも、このようなシュタイナーのトピックを作られたことは大変重要な意味があります。

    未だ正確なシュタイナー像は捉えられてはいません。

    今後もまだ哲学界は基より、科学者からも宗教家からも敬遠拒否され続けられるでしょう。

    神秘学用語を用いずに日常言語化し得ないと、それこそ「変な人」に見られます。

    くれぐれも健康には気をつけて、御自愛下さい。

  4. 泰秀 より:

    >梅崎さん

    始めまして。

    ご指摘ありがとうございます。

    次は木製紀ですか。

    現在2013年、あるいは2018年に人類の転換期が来る、と言われていますが。

    緩やかな転機が起こりつつあるのかもしれません。

    シュタイナーは読むたびに新たな発見がありますね。

    今いる段階に応じて、読み取れるものも増えていく気がします。

    人間は、意識下では共通無意識とつながっています。

    木製紀には、そこと通信できるようになるのでしょう。

    個人意識が個人無意識を越え、共通無意識へとパイプを作る。

    どんどん、その深奥へもぐっていく過程が描かれているのだと今は理解しています。

    そういえば、エジソンが最晩年に手がけていた研究が「霊界ラジオ」と呼ばれるものだそうです。

    死者と会話ができる、というものだったようですが。

    共通無意識と意識を結びつけるシステムを作ろうとしていたのかもしれません。

    ヒッピー文化も、LSDなどを通じて「覚醒」を目指しました。

    覚醒の状態は、相手が自分の一部であり、自分が相手の一部であるように感じたそうです。

    ただ、薬物では覚醒の状態に入ることはできても、維持することができないので廃れていきました。

    修行を積んだ高位のヨーギは、相手の心が分かるそうです。

    何か悩みがあって、相談しようと思っていると先にヨーギから使者が来て「悩んでないで早く来なさい」と言われる、といったように。

    「虫の知らせ」などといいますが、我々には古来より、直感で肉体的には知りえないこと、個人意識では知りえないことを知る力を持っています。

    感情や、思考はどこから出てくるのか、という問い(自由の哲学にもつながってきますが)は、「私」から出てくるわけで、そこでの「私」というのは、共通無意識に他なりません。

    そういった「私」の声を聞く、行動を伴った実体として顕れて行く、それが次の段階なのだろう、とイメージしています。

  5. 梅崎幸吉 より:

    泰秀さん、梅崎です。

    >そこでの「私」というのは、共通無意識に他なりません。

    ユングは「集合的無意識」と命名しましたが、これは便利な概念で何でも包める風呂敷のようなものです。本能もそうですが。

    『私の中の真の私』という同じ言葉を使っても単なる記号として捉えたら空転するばかりです。

    よく「内なる声」と言いますがこの真の声は私と世界が融合しつつ『私』としての自己意識を保持されていなければ幻想空想との区別はつきません。

    >ヒッピー文化も、LSDなどを通じて「覚醒」を目指しました。

    身体レベルの無意識(動物界的快不快)に留まり、際限なき快へと赴くでしょう。その結果は言わずとも自明です。

    悟性魂から意識魂への移行段階が現代に於いて進行中です。

    解脱とは感覚界に呪縛された『私』の解放で、さらにその私が

    現実のなかで『魂的知覚』を通して日常を生きる。

    そのためには芸術的感受性を練磨しなければ方法・関係を見出すことは困難でしょう。

    これが『近代からの個人の受難劇』としてあらゆる分野で残されています。

    今日でも『思考存在』は認知されてはいません。

    単に無体験によるものですが。

    では、また。

  6. 泰秀 より:

    梅崎さん、こんにちわ。

    >よく「内なる声」と言いますがこの真の声は私と世界が融合しつつ『私』としての自己意識を保持されていなければ幻想空想との区別はつきません。

    おっしゃるとおりですね。

    「私」というものを説明するのは難しいですね。

    言葉が空回りしてしまう。

    思考だけでは、おっしゃるとおり幻想に過ぎません。

    説明できないものを説明する必要はないのでしょう。

    「私」に近づくための方法を説明することが、「私」を伝える最適な手段なのかもしれません。

    実感がなければ、なんと言い換えても仕方のないことです。

    解だけでなく、それを導くための手段もあわせて理解しよう、伝えようとする努力が必要なのでしょう。

    「私」を解放する、「魂的知覚」を通して日常を生きるには、どのような行動、思考が効果的でしょう?

    梅崎さんは何か心がけておられることはありますか?

    >これが『近代からの個人の受難劇』としてあらゆる分野で残されています。

    何をさしておられるのでしょう?

    ゲーテの「ウェルテル」の悲劇のようなものでしょうか?

    人間性の解放、ということで連想したのですが。

    具体的なイメージを教えていただけますでしょうか。

    >今日でも『思考存在』は認知されてはいません。

    「純粋な思考としての存在」と言った意味でしょうか。

    具体的に、どのような状態にある存在なのでしょう?

    思考がそのまま具現化する、肉体化する状態(サイババなど)なのか、実体のない存在(いわゆる、幽霊などとして言い伝えられている状態)なのでしょうか。

    それとも、状態の呼称ではないのでしょうか。

    なんだか質問が多くなってしまいました。

    おっしゃっていることを理解したいので、お答えいただけると幸いです。

  7. 梅崎幸吉 より:

    泰秀さん、梅崎です。

    『近代からの個人の受難劇』については私の拙著『小林秀雄論』に書いています。

    下記『小林秀雄論』サイトアドレスです。

    http://www12.ocn.ne.jp/~golgotha/

    興味があれば読まれると参考になります。芸術、文学、宗教も含めて考察しています。最も、文献学的には書いてはいません。7日位で一気に書き上げたもので、推敲もあまりしていません。

    でも、言いたいことは全て含んでいます。

    ただ、小林秀雄に即して書いたものである、という前提で読まれるといいのですが。

    それと、思考と思考存在・思考そのものについては『自由の哲学』を読まれたほうがいいと思います。

    >思考がそのまま具現化する、肉体化する状態(サイババなど)なのか、実体のない存在(いわゆる、幽霊などとして言い伝えられている状態)なのでしょうか。

    全く違います。

    生命界との融合、云わばエーテル界の体験です。

    これはある種の『至福体験』でもあります。

    殆んどの宗教家の創始者達が体験したものです。

    稀に、似た、一部を体験した人物は全てを知った、世界の秘密を知ったと思うほどの強烈な内的・神秘体験です。

    >「純粋な思考としての存在」と言った意味でしょうか。

    純粋思考体験とも言うことも可能です。

    これは感覚界に呪縛された肉体から一瞬開放されます。

    ただ此処で殆んどの個人は『悟った』と勘違いするのです。

    比喩ではなく自分・個人の『死』を体験するからです。

    これも言葉での説明は難しいですね。

    ゲーテが『死して成る』という言葉の精髄です。

    神秘学概論では『眠りと死』の章に書かれていると思いますが。

    何気ない日常をしかと見逃さぬ繊細さと畏敬の念、これは泰秀さんもやっておられると思いますが。

    あらゆるものの因果関係を思考によって意識化、明晰にする、その持続です。

    では、また。

  8. まるこめ より:

    こんにちわ。もの凄く興味深く拝見させて頂いています。。。。

    理屈じゃなく、景色や意識の各々のステージって、、、なんだかあるんだと思いますが、、、、、

    僕にとって大切な事は、実像や実体ではなく、ものが成されてゆく過程に伴うゆらゆらしたもの達、、、、です。

    個々人に何かやるべき事や適したことがあって、その過程にしか本質はないのではないだろうかと思うのです。そう思ったら、すべての本質というのは過程の連続のみでできあがっていて、その過程はゆらゆらしたものたちの因果関係と交換でしかないのです。

    そこで、人間は長い歴史を経て今、目に見えぬ最も良い種類の精神性を生産できるようになったのですから、ならばそれを因果関係と交換の中で自分が産み出すようそれぞれ自身に働きかけ続ける事が大切な気がしていて、その過程だけが何らかの「答え」となりうるような気がしているからです。

    人はとかく、答えや実態が、欲しいものですが、

    欲しいのならば、目には見えない良きものを常に産み出したい!と働きかけ続けることが、何より条件だと思えてきました。

    (自分において、切実にそう思うのです)

    そんな中、常に実態のない次元の高く偉大な大世界を空の上のどこかにひしひしと感じるし、自分の中にもそのミニチュアが眠って埋まっているのも感じるし、それが古来より「良心」と呼ばれているものなのではないだろうか、、、と言う気が、何となく最近実感としてあります。

    なので「悟った」など本来どこにもないのだろうとも、それを求める行為すらも、突き詰めてゆくと空疎だろうとも思うのです。

    難しいことは、本当によくわからないのですが、

    僕にとってはシュタイナーの言っていることで、

    実感や感覚としてわからないことは、何一つ無いと思うから、

    ですから、読んでいて、とっても救われる思いです・・・。

    これにつきます。

    ひとつ、「少数による、以心伝心の世界」

    これが、自分にとってクリアーになることを、切望しているのですが、なにか、ヒントはあるでしょうか?

    単純に、、、、、、、、

    たぶん自覚の問題だという気がしていますが、

    明確に突き詰めてゆく指針と同士が欲しいと思ってしまう僕です。

  9. 梅崎幸吉 より:

    まるこめさん、初めまして。梅崎です。

    >ひとつ、「少数による、以心伝心の世界」

    この問いは私の書き込みから引用されたものですね。

    この少数というのは現実に実践している存在です。

    それは会えば直ぐに分かります。

    最も、分からなければ『以心伝心』とは言いませんが。

    シュタイナーを読まなくとも実践している人物は存在します。

    それを、今のところは『少数』と言ったのです。

    人智学協会に属しているのと実践とは別問題です。

    これも誤解を招きそうな、傲慢と聞こえる言いかたですが。

  10. より:

     ちゃちゃをいれるようですみません。

    私有機農法関連からシュタイナーに興味を持ちました。

     

     むつかしい言葉を使わなくても

    「世のなかにはヒトの理解を超えるルールがある」

    「定理とかそんなものはそのルールを説明する道具にすぎない」

    「世界は素晴らしい世界になる。じゃまさえしなければ」

    というのが彼の考えかなと私は思いました。

     せっかくよい方向に進もうとしている自然を邪魔するのは

    あほやで、それがバイオダイナミック農法かなと。

     せっかく有機栽培関連でわたしのようなあほもシュタイナー

    に興味をもっています。

     下世話な言葉でシュタイナーを語っていただけないかなと

    御願いしたいのですが・・・

  11. まるこめ より:

    大さんに共感しますー。

    そうっすねーまったく。

  12. 泰秀 より:

    >梅崎さん

    小林秀雄論、読ませていただきました。

    直観を得てしまった人間の悲劇を書かれているのかな、と感じました。

    悲劇は、いくつかの段階があると思いますが、

    ・自分の直観を表現すべき言葉がない。

    ・表現できても、理解する相手がいない。

    という段階でしょうか。

    前者は、たいていの人間が多かれ少なかれ体験することではないかと思います。

    後者は、ニーチェなどに顕著だと思います。

    意識レベルを共有できないと感じ、自分が孤独である、自分の見つけた財宝は誰にも分け与えることができない、という絶望感なのでしょうか。

    思考による存在、は、今日、直観でなんとなく理解したように思います。

    人間が「私」と言う時、その「私」とはなんなのか。

    それは、あるエネルギーだと思います。

    (エネルギーには波動と粒子がありますが、波動です)

    そのエネルギーをどこに向けるか。

    行動に向けるか、個人意識に向けるか、個人無意識に向けるか。

    どこに注目するか、その、注目する、ということはどこにエネルギーを向けるか、と言うことです。

    自分の心のどこに目を向けるか、

    その、エネルギーそのものを抜き出したものが思考存在なのかな、と。

    「私」が純粋なエネルギー、思念である、ことに気付くと、それをどこに向けるのか、というという選択肢を意識することができます。

    自分は、エネルギーそのものであり、深い部分からあふれてくる波動、波、振動そのものです。

    ふと、梅崎さんとの話題が無意識のどこかに引っかかっていたのか、今日、カール・ロジャースの本を読んでいたときに突然このことが腑に落ちました。

    エネルギーであることに気付くと、他人のどこにエネルギーを向けるか、世界のどこにエネルギーを向けるか。その選択権は私が持っている、さらに言うと、選択権を持ったエネルギーこそが「私」なのです。

    エネルギーは、同じ海(共通無意識)からやってくる波なので、共振することもできます。

    >大さん

    有機農法は興味があります。

    パーマカルチャーという考え方もありますね。

    持続可能な農的暮らしのデザイン、とされています。

    「世界は素晴らしい世界になる。じゃまさえしなければ」

    は、素晴らしいですね。

    その、邪魔とはなんなのでしょう。

    人間性を阻害している要因を取り除きたいですね。

    とある大きなルールに沿って私たちは動いていますよね。

  13. 泰秀 より:

    >まるこめさん

    >僕にとってはシュタイナーの言っていることで、

    >実感や感覚としてわからないことは、何一つ無いと思うから、

    分かります、その感覚。

    どこか、つながっている。

    人間の本質とは、関係性(人の間=人間)である。

    人間とは、完全なもの、統一されようとする働きをその内部に持っている。

    人間は、良い方向へ向かいます。

    行動や、常識や、思想はその都度変わるとしても、その時々、その瞬間においては、人は常に最良を目指します。

    その過程、その途上。

    永遠の過程こそが、生命と言えるのでしょうか。

  14. より:

    レスいただきとてもうれしいです。