ミルプラトーは読みました

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コメント

  1. twisted より:

    いまリトルネロの章をぼつぼつ読んでいます。「領土を示す指標はレディメイドである」とか唐突に言っちゃうところとか笑えます。マルセル・デュシャンがモナ・リザにヒゲを描くくらい単純に定義してしまっている。「クモはまるで蠅のことを念頭に置いているかのようだ」とか、たんに体系の「写真」や「素描」に終わらない表現の仕方で書いている。ドゥルーズ的なユーモアとでも言えばいいんでしょうか。

    小鳥の比喩が多いので、なんとなく漱石が「草枕」の最初の方で雲雀とかについて考えているところを思い出しました。

  2. 基本的に彼らの書き方は、

    「そう考えることによる、可能性は何か?」

    ですよね?

    そういう文体というか姿勢って希望があっていいです。

    こまごまとした近代科学的定義の積み重ね自体、制度的であり条理空間であると批判してますから、必然的にそういうスタイルになるのかと思います。

  3. この本はマジで面白いですよね♪

    僕は、章ごとに破いてます。重いし。んで寝る前や元気の無いときに寝っ転がって読んでます。

    ゲラゲラ笑える素晴らしい本ですよね。

    >>2

    ふきさんの意見に賛成で、

    持ってきたものを接続してみて、駄目なら次のもの持ってきて

    どっかでビビビと電流が通ったら可能性あり!!!

    みたいな姿勢ですよね、(えっ・・・違う・・・??)

    >>1

    小鳥の比喩といえば、ジョン・ケージの『小鳥たちのために』

    なんだけど、手もとにありつつ読んでない。。。。

  4. アルカイダ=戦争機械ということでいいですか?

  5. >かごさん

    いあ、そのとおりだと思います。

    章ごとに破くのはかなりショッキングな発想でした。

    や、や、やってみようかな・・・

    そもそも、近代哲学ってのは私からはじめるじゃないですか。なんか、それって変だとおもうんですよね。先にあるのは世界なのに。真理ってのは効果のことだと思いますし。おもろければいいじゃないか、と。それで希望が持てるなら。

    希望以上に正しい倫理はないです。

  6. twisted より:

    僕は専門でも何でもないんでヨーロッパ人の歴史的文脈とか興味なーしですけど

    こんだけ意味がわかんない世の中で

    頭が良くて、健康で、体力がある人間が”生きる”には

    ドゥルーズ的な、倫理的な無責任さはピピピと来るものがありますね〜

  7. twisted より:

    破くのってぼくも考えたんですが、なんかもったいなくってできないでおります。ハードカバーだとこういう時躊躇しちゃいますねえ。原書の方が破きやすい体裁だし。

  8. 関本洋司 より:

    高校時代、授業中にこっそり隠れて読書するために

    読む分だけ破いて教科書に挟んでいました。

    だから僕の青春の書は、どれも原型を留めてなく

    途中の章がどこかに行ってしまったりしています。

    読まないで本棚に綺麗なまま並べられているなら

    破くべし!!!!!!

  9. 関本洋司 より:

    関本と申します。

    最近、このコミュニティが一番mixiらしいので、さすがドゥルーズと再確認しております。

    僕もtwistedさんと同じく、ミルプラトーの特にリトルネロの章を愛読しております。

    ちなみに、宮沢賢治の諸作こそが、領土化と脱領土化を同時に見据えていると言う意味で、ミルプラトーに最も近い思考を体現していると考えております。地質学、生物学への接近はとても他人ごととは思えません。

  10. リトルネロの素晴らしさ・・・・

    ドゥルーズとガタリによって哲学の概念として創られたリトルネロは、私たちの思考を刺激して止まないと思います。

    宮沢賢治。

    久しぶりに読みたいです。

    筑摩文庫の文庫全集が手もとにない・・・

    送ってもらわなければ。

    僕も、このコミュの盛り上がりに吃驚です。

    この後、どのような方向に発展するのか???

  11. うーん、正直リトルネロが一番分からなかった人間です。あとは顔がピンとこなかった。

    読み返してみないと・・・

    それ以外は理解はできなくとも価値はわかって、ピンときたんですが。

    わがままなお願いですが、リトルネロの良さを少しでもよいので、説明してもらえないでしょうか?大抵のものは価値が分かって初めて、仕組みが理解できるもので。

  12. 久しぶりにリトルネロを読み返してみた(半分。)

    ミルプラトーだと巨大すぎてなかなか突っ込んだ話もできないので

    章ごとに、別スレ立ててみたらどうでしょうか?

  13. リトルネロ(後半)を読み返した。

    どうやったら説明できるのか・・・・

    わからないからwドゥルーズ本人の言葉を引用して誤魔化しちゃえ!!

    「三つの要因(←領土、大地、脱領土化です。)が自由に、つまり美的に作用する場を、この本ではリトルネロに見ることができる。ひかえめな領土性の歌、あるいは小鳥のさえずり。大地が叫んだなら大地の歌声。次に聞こえてきたのは力強い天空の調べか、あるいは宇宙そのものの声か。それこそまさに、この本が望んだことであるはずだ。個々のプラトーに合わせ、リトルネロを、さまざまなリート[歌曲]をアレンジすること。なぜなら哲学も、結局はリトルネロのはたらきとなんら変わらず、ささやかな歌謡にも、堂々たる風格の歌曲にも等しくあらわれる一種宇宙的なシュプレッヒゲザング[声楽演奏]にほかならないからだ。ミネネヴァの鳥にも(ヘーゲルの言葉を借りることになったが)独自の叫びと独自の歌がある。哲学の基礎は叫びであり、叫びの周囲で繰り広げられるのが概念による正真正銘の歌なのである。」(『狂人の二つの体制 1983-1995』から「『千のプラトー』イタリア語版への序文」より)

  14. リトルネロが領土化・脱領土化であることは分かるのですが、一般性として、どこまで応用可能か、が僕にとっては不明です。領土化自体理解できないのかもしれません。

    概念の領土化はまぁ、分かっていると思うのですが。

  15. 関本洋司 より:

    関本です。

    ドゥルーズがリトルネロの章で引用した、民衆が足りない、というクレーの言葉が僕は重要だと思います。

    思うに、最近の戦争及びテロのニュース、デモのニュースに、オリンピックの国歌斉唱にそれらは呼応しています。

    この時、領土化、脱領土化、再領土化は、内在的な差異化及びマスメディアからの情報の分節化ということになりますし、リトルネロはそれらに対抗する民衆の側からの抵抗の武器、または論理ということになります。

    携帯電話の着信音もまた、小さなリトルネロであり、小さな個人主義的な領土化が街のあちこちで行なわれているということになりますが、これらは多分、資本による再領土化だとドゥルーズなら言うでしょう(電話代も馬鹿にならない)。

    以上、恣意的な読みに基づいた、リトルネロの読解及び展開でしたが、繰り返すなら、民衆という視点を現代思想に、音楽論によってドゥルーズが再び取り戻したことが重要だと思います。

    (昨今の日本の憲法改正論議、郵便局民営化の論議にもまた、民衆が足りない、と言うことが出来る・・・)

  16. 民衆が足りない・・・もう一回読みなおさないとわからなそう

    ケイタイ電話はよくわかります。

    内在的な差異化ね。

    結構、他の概念との繋がりよりも、現実との繋がりが強そうな気配ですね。

    ありがとう。おかげさまで、価値が理解できたようなきがします。その方向で考えてみます。

  17. 関本洋司 より:

    ふき様

    関本です。

    いいかげんな(即興的な?)書き込みにレスいただきありがとうございます。

    >結構、他の概念との繋がりよりも、現実との繋がりが強そうな気配ですね。

    『記号と事件』でも、ドゥルーズは連結する「機能」(p41など)としてのテクストを重視していました。

    また、先に書いた「民衆が足りない」という箇所は、『千のプラト−』日本語版では正確には「〜この力が欠けている。われわれは民衆の支えを求めているのだ〜」(p388)となっています。

    リトルネロの章はそれ自体が演奏になっているので、理論的土台として前章におけるマイノリティーへの生成変化とあわせて読むとわかりやすいのかも知れません。

    「ロマン主義にいちばん欠けているものは民衆である」(p391)

    となると、mixiに欠けているものも民衆である???

  18. リトルネロの章は、面白く読ませると思ったら途中で怒涛の定義攻撃、意味わかんなーと思いながら読んでると終盤は、刺激的な例の「民衆が足りない」って話に落ち着くから。なんだかわかった気になっちゃうけど、誰かに説明しようと思うとちっとも僕は理解していない。

    リトルネロってのは一つじゃなくて良いリトルネロもあるし悪いリトルネロもある、これが面倒だ・・・・・・・・

  19. うは、ありがとうございます 関本さん、加護さん

    こりゃ千プラ章ごとに解体は決定ですな

  20. 関本洋司 より:

    関本です。

    ふきさんwrote:

    >うは、ありがとうございます 関本さん、加護さん



    >こりゃ千プラ章ごとに解体は決定ですな

    となると、もうこれ以上は別トピに書き込むべきかも知れませんが、メモ替わりに以下追記させていただきます。

    結局、ドゥルーズは思考における最小単位を発見したのだと思う。それは『アンチ・オイディプス』においても『差異と反復』においても得られなかったものだ。その思考はあらゆる「事件」(本来「良いリトルネロ」も「悪いリトルネロ」も混交している)を記述可能にするもので、あらゆるニ項対立を横断するものだ(この運動には終わりがないから結果的に思考それ自体が音楽になる)。

    その思考の最小単位をドゥルーズ自身に倣って、微粒子と呼んでもいいし、それはガタリの言葉なら分子革命ということになる。

    リトルネロに話を戻すなら、それは12章の遊牧論における「数える数」(能数)と「数えられる数」(管理される数)とも繋がっており、やはりあらゆるジャンルを飛び越える思考ということになる(だから、ドゥルーズの記述するリトルネロの宇宙への飛翔は比喩ではないのだ)。

    ただし、あらゆる二元論を横断しつつも、子供(冒頭の描写が素晴らしい)や民衆の主体化(生成変化と言うべきか)への契機として、リトルネロという概念(というより行為)はドゥルーズによって無条件に肯定されているようにも思える。

  21. >関本さん

    わかったぞ!

    最小単位ですか。内側から定義される、包含的である1ですね。これは。それがリトルネロですね。だから重要で美しくて肯定すべきものであると。

    「雑踏の中でも売り子の声は独立した宇宙を形成している」というような表現を思い出しました

     ・・・でいいのかな?価値がビビビと分かった気がしたのだが。

    音楽と政治はガタリの得意分野と聞きます。

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