エンタテインメント業界不振の原因

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コメント

  1. Simon より:

    最近、10代〜20代前半の若年層のエンタテインメント支出における携帯電話通信料の割合が高まっているのがエンタテインメント業界不振の一因と言われてますが、本当にそうなのかどうか。

    実感としては確かにそうかもしれないと思うのですが、生のものに触れることにあまり価値を見出さないという価値観が蔓延しているという報告もあって、何が本当かわかりません。

    その辺正直どうなんでしょう?

    身の回りの事例でいいので是非皆さん教えてください。

  2. gmax@鴉 より:

    > 生のものに触れることにあまり価値を見出さないという価値観が蔓延しているという報告

    これはどこの報告でしょうか。どこかの統計結果かな。。。。

    Web上にリソースがあれば提示いただければありがたいです。

    生の価値というより怖れが先立って、携帯電話や情報端末(PC含む)という装置を介した形でないとコミュニケーションがとれなくなったという局面もあるかもしれません。電話の向こうの相手は「生」じゃないのかも。

    あと、「生」の良さがわからないように私たちの感覚が既に変質してしまったのかもしれません。

    私はMP3プレイヤの再生音に乗ったモジュレーションノイズの酷さに返品をしたことがありましたが、店員はいずれもそれがわからなかったようです。しばらくショックでした。

  3. Simon より:

    最近(ここ2ヶ月程度)の調査でそういう報告があって新聞記事にもなってたのですが、見つからないっすね。

    舞台とかコンサートとかの「生」のものに行かなくてもいいと答えたか、行ってないと答えた人が4割とかいう調査結果だったと思うのですが。

    私も決して耳はよくないので、そういうノイズ云々はわかるかどうか不安です。特に定常的に載ってるノイズを聞き分ける能力は落ちている気がします。ノイズだらけの環境で生活してますし。(苦笑)

    とはいえ、突発的なノイズが載るのはちゃんとわかりますけれどね。

  4. gmax@鴉 より:

    音楽も含むパフォーマンスには「音」や「映像」だけでは決して成立し得ない要素を持ってると思いますが、やはりそれはその場に居ないと共有し得ないものだと思います。それはなにか?といわれるといろいろあるんでしょうが・・・・たとえば何だろ?

    しかし、生を見に行かないというのは単に娯楽費が他の支出と比べて真っ先に切り詰められる対象として選択される傾向があるというわけではないのでしょうか?あるいは携帯電話代だと通信費ですよね・・・仮に娯楽的要素の強いサイトを利用することが多かったとしても。なので統計数字上の話だけかもしれません。

    いわば「レガシーな娯楽」(とでも言うのか?)が廃れてきて、従来のエンターテインメント業界は新しい娯楽をうまく活用できていないという話なのかもしれません。実体はちょっと見えにくい。

    ちなみに、私は携帯を娯楽用途では使ってません。ていうか、一度試し手を出してみたけどイマイチだなと思ってじきに飽きちゃいました。

  5. Simon より:

    エンターテインメントに関わる者にとって、今や携帯電話は無視できないどころか、必ず考えなくてはならないものになってしまいました。

    携帯への支出が増えることで若年層のエンタテインメント系支出がどんどん通信料に消えていく現状というのを睨みつつ、どうやってそれを融合させるのか、というところを常に考えているわけですが、エンターテインメント関連支出の全世代平均の4割が通信料に消えるという現状はなかなか恐ろしいものがあります。

    でもって、生を見に行かないというのは、そういう総額として減少しつつあるエンタテインメント支出中において、ビデオやCD、ペイチャンネルなどへの支出額はあまり変わらないか、割合としては上昇しているのに対して、生のものへの支出が減少傾向にある、ということです。

    それと同時に、「生を見に行きたいけど見に行けない」のではなく、「生は見に行かなくてもテレビやパッケージメディアで十分」という意識の定着についての問題というのもあるんですよね。

    まあ、そもそもが日本の生の舞台というのは様々な要因もあって「高い」んですけど。でもアメリカでのミュージカルなんてのも十分高いんですけどね。下手すれば日本以上に高いですけど、ちゃんとお客さんは入ってる。

    この違いはどこから来るのか、と考えると興味深いです。

  6. 筑紫哲也 より:

    敢えてボクはエンタメにおいてのケータイ不要論を。

    自分のクビを絞めるようなことですが、ケータイはそんなにも無視できない存在なのでしょうか?

    エンタメとヒトコトで言っても、実に幅広い。

    能や歌舞伎もエンタメでしょうし、

    モー娘。のコンサートもエンタメ。

    ダンディ坂野が「ゲッツ!」と叫んで笑わせるのもエンタメ。

    なにもケータイに迎合するようなことはしなくてもいい。いや、するべきではないと思うのです。

    たとえば、歌舞伎をケータイで見たいですか?モー娘。のコンサートを(仮に通話料金が少額だったとしても)FOMAのテレビ電話機能で見ていたいですか?

    ボクなら、やはりエンタメというものは、その場の雰囲気を味わう・・・”臨場感”こそが評価するべきものであり、臨場感の湧かないモノではお金を支払う価値が減るのだと思います。

    歌舞伎役者の一挙手一投足を、固唾をのんで見つめる。

    好きな歌手が汗をかきながら、声を多少かすれさせながらも一所懸命に歌う。

    これなんてケータイの画面やDVDでは伝わりきらないですよね。もしコンサートで口パクだけで一体感なんてあじわえないコンサートだったら、それでも満足できますか?

    では、映画や音楽CDはどうかといえば、映画は自宅で見ることができる。しかも数年前では想像も出来ないような資金でドルビー5.1chの大迫力を、大画面テレビや液晶プロジェクタで見られる。

    これなら周囲を気にすることなく、トイレで一時停止も出来る。映画は1回1800円だけど、DVDなら3000円くらい払えば何回でも見ることができる。ツタヤでレンタルしてしまえば、数百円で自由に見られる。

    エンタメの魅力=おもしろさを一般大衆に伝えられない、伝え切れていないことの方が問題なのではないでしょうか。

    身近にあって、ついつい使ってしまっているからといってケータイが万能なわけではないと思います。

  7. Simon より:

    新たな観点を提示してみましょう。

    この問題というのは「可処分所得」の問題よりも「可処分時間」の問題の方が強い気がします。その辺が、携帯が重用されてしまう理由の一つなのではないでしょうか。

    でもって、ケータイケータイと私は騒いでいますが、ある世代ではケータイが友達付き合い、暇潰し、コミュニケーション、情報収集、エンターテインメントの窓口になっているという恐るべき状況があって、それが無知がためであるにしても、他のエンターテインメントが圧迫されているのは事実な訳で。

    ケータイにエンターテインメントが擦り寄ってどうするよ、と思ってはいますが、かといって稼がないといけないからそういうプラッフォームに乗らないと、というのも頷けます。

    つか、パケット代高いよ。(ぉ

  8. 筑紫哲也 より:

    ケータイにできることは「窓口」であって、本質を楽しむことはできないと思っています。

    気軽に入口として様々なエンタメを提供できるけれど、ケータイで完結することなんて、殆どないのではないでしょうか。

    入口程度でユーザーが満足してしまい、劇場へ足を運んだり、コンサート会場へ行かなかったり、映画館へ行かなかったりするのは、一般顧客を小手先で満足させようとしてきた、エンタメ提供者の怠慢の結果なのかもしれません。

    ケータイというプラットホームの続きを用意しておくこと。それが大切なのではないでしょうか。

    パケット代は安くないだけで、高いわけではない、と私は思うのですが・・・。

  9. gmax@鴉 より:

    なんか、面白くなってきてますねぃ。

    「可処分時間」ですか。興味深いです。

    おそらく、総量としてはないわけじゃないのですが、細切れにされてしまってるんでしょうね。少なくとも2-3時間を連続して費やさなくてはならない生の娯楽というのは確かに辛いかもしれません。

    テレビ視聴のタイムシフトを可能とする機器もずいぶんと発達して利用されていますが、結局連続した可処分時間の不足を補うためのものでしょう。

    今という時代は、言葉として「ゆとり」とか「癒し」とかが出回り、それをもたらしてくれるさまざまなものが商品化されている状況ですが、「娯楽」はそれを与える役割を本来もっています。

    まとまった「可処分時間」の減少は、娯楽を提供する機会や場の減少を招いたのかもしれません。で、場と時間を必要とする純粋な無形の娯楽ではなく、有形の各種商品や、分散した人々に娯楽の切れ端を与える道具類の発達を促したとも見れます。

    また娯楽の場で起こる体験の共有も減少したわけで、いびつに発達した映像や音声の再生技術は、結局はリッチでよりインタラクティブなメディアやコミュニケーションの提供に役立つかのように見えて、その実、最も基本的な部分に存在する感受性を却って阻害してしまう結果にもなったとも言えるのかも。

    暴言ですが「すでに娯楽は死んだ」ってことなのかも知れません。

    # 本当か?

  10. Simon より:

    すいません、出かけていた日に投稿があったので今まで気付きませんでした。

    「可処分時間」が少ないから、ケータイでできることレベルで既に時間を使っちゃってそれでおしまいになってしまうことが結構ある、ということでしょう。当然エンタテインメント業界側にも責任はあるのですが、ケータイというプラットフォームは日本人の軽薄短小好きという心を見事に捉えたとも言えます。

    エンタテインメントそのものは、歴史的には主に金持ちの暇潰しのためのものですから、パトロン的存在がどうしても必要になってきます。エンタテインメントを商業として成り立たせるために、色々な仕組みが考案されてきましたが、結局どれもエンタテインメントを完全に独立したビジネスとしては成り立たせられていません。

    つまりそれは、エンタテインメントが生活に必須なものではあり得ないということから来ているのでしょう。なくても生きてはいけるわけで。

    ただし、エンタテインメントは文化の源でもあるわけで、そういう認識をちゃんと持っている国では、国がパトロン的な立場を取っていることもあります。(ヨーロッパ諸国など)

    アメリカでは、エンタテインメントは産業の一つとして捉えられていますが、文化の輸出がそのまま文化振興になっていて、国内のエンタテインメント消費も促す形になっています。また、国としても産業振興の一環として文化輸出を強力に推し進めています。

    前に書いたようにアメリカでさえ、生のエンタテインメントは高い傾向がありますが、それを生活の中に取り込んでいく文化が既にあるので、エンタテインメント業界はそれなりに成り立っています。また、日本に比べると地方巡業のような形で国内のあちこちで公演が行われることも特色ではないでしょうか。

    翻って日本の状況ですが、不況であることとは別に、エンタテインメントに触れる機会というのが、多くの場合メディアを通したものになってしまっていること、人生観やライフスタイルの違いといったところもあって、エンタテインメント消費というのは日常生活の中で大きな位置を占めているとは言いにくい状況です。

    それに対して、文化の衰退になるとして行政が何らかの施策をするといったことはあまり行われていません。日本の文化振興策に関しては、「メセナはヨーロッパ並み、補助金はアメリカ並み」と言われ、どちらも非常に少ない状況にあります。

    特に、日本の場合近現代の文化に対する認識が低く、その保護振興策というのは非常に軽視されています。下手に歴史がありすぎるのかもしれませんが、例えば近現代の建築物は価値を認められずに壊される傾向にありますし、ポップカルチャーに至っては殆ど何も施策はなされていないとも言えます。

    文化というものは、しっかりと育み培っていかないと崩壊してしまう危うさを持っているのですが、日本ではその文化の担い手は自らの身を削りながら必死に自らの拠り所としての文化を守っていこうとしている状況であって、このままでは文化が崩壊する方向、あるいは大衆迎合的な低俗な方向(=安易に売れる方向)に極端に傾斜していく可能性が高いと思っています。

    文化は必ずしも高尚でなくてはならないわけではなく、雑多な多様性があることがその存在意義でもあります。選択肢は多い方がよく、文化の創造は様々な形で行われるべきなのですが、現在の日本ではそういう思想を唱える人の影響力はあまりなく、むしろ産業振興の一環として、あるいは政治的意図を持って「お上」の都合のいい方向へ規制されつつあります。

    こういう状況をどう考え、どういうスタンスでいるべきなのか。考えなくてはならないことは多いと言えます。

  11. ナリト より:

    前提をひっくり返す訳ではないのですが、

    単にエンターテインメントと言っても、

    ジャンルによって濃淡があるようです。

    少なくとも劇場映画は好調と言ってよいと思います。

    詳しくは下記をご参照下さい。

    http://www.eiren.org/

    スポーツも、ジャイアンツは動員を減らしていますが、

    Jリーグは一時のバブル崩壊の時期を乗り越え、

    新潟では毎試合4万人以上が動員されるような現象も

    でつつあります。

    CDは売れてないなんて話を耳にしますが、

    ロックフェスには、すごい人数が動員されている

    ような印象です。

    (上記のライブ云々の議論を深めるのにも参考になりますね)

    乱暴な物言いで失礼ですが、売れ筋が変化しつつあることに、

    供給する側が対応しきれていないのではと思いました。

  12. Simon より:

    まず、私自身はエンタテインメント業界を代表する立場でもなければ、擁護する立場でもありません。逆に、今のエンタテインメント業界人は、その多くが猛省しなくてはならないと思っています。

    しかしながら、文化としてのエンタテインメントを捉えるとき、文化の創造は必ずしも文化の担い手だけによってなされるものではない、つまり、文化は放置しても育まれていくものではなく、環境の整備も必要である、という自らの主張に基づいて先の投稿を書いた次第です。

    エンタテインメントのジャンルによって好不調があることは承知の上で書いていましたし、一般論としての文化論との絡みもあるので、一概に言えないというのもあって、ああいう書き方になりました。

    ただ、前提条件に対する理解の点で多少食い違いがあるように見受けられましたので、多少解説をしてみたいと思います。

    劇場映画に関して言えば、興行収入の額面自体はともかく、その興行収入の多くが洋画に偏っています。

    日本映画製作者連盟の報道資料にもある通り、「踊る大捜査線」を除いては、タイトル当たりの邦画の興行収入は決して多いとは言えません。また、公開される映画の本数はほぼ同じであるにも関わらず、興行収入の総額で比較すると邦画:洋画が7:3程度の比率になっています。

    パッケージ製品、特にDVDの普及による映画の収入構造の変化というのもあるのですが、先に述べたような文化的なエンタテインメントを巡る構造としては、コンテンツを輸入してその売上が上がった(利益ではないことに注意)からといって喜んでばかりはいられないというのはお分かりになるかと思います。

    また、映画興行収入全体が約2000億円ですが、報道資料にある通り、ビデオソフトの売上は推定で5000億円とされています。この点でも、映画業界自体がそうそう業績がいいと言えるものではないと言えます。

    ついでに言えば、邦画売上上位のタイトルを見ると分かる通り、最初から映画として制作されたものではなく、テレビシリーズの映画化やアニメなどの、既に別途に映像としての原作が存在するものが多いということも特徴として挙げられます。

    Jリーグに関して言えば、アルビレックス新潟の動員4万人/試合というのは特異例であって、それを敷衍してしまうのは危険です。

    http://www.j-league.or.jp/aboutj/katsudo/shushi2002_00.html

    にある通り、クラブの経営自体は非常に厳しい状況にあります。

    営業利益と営業費用のグラフや、クラブ別経常利益の項目を見るとわかりますが、債務超過のクラブがJ1,J2合わせて8もあります。他にも、経常利益が赤字のクラブが11、借入金のあるクラブが16もあります。

    更にびっくりするのは、人件費/売上高(利益ではなく)が5割を超えるクラブが11もある、ということです。

    http://www.j-league.or.jp/aboutj/katsudo/shushi2002_03.html

    つまり、Jリーグは決してバブル後を乗り越えているのではなく、売上高の高いクラブと赤字のクラブ、言ってみれば「勝ち組」と「負け組」に二極分化していると言えるでしょう。

    リーグそのものが衰退してしまえば、試合自体が成り立たないことにもなるということを考えると、必ずしも今の状況は誉められたものではありません。

    CDの売上の減少については、音楽業界側の怠慢が大きく陰を落としているため、その点についてはある程度同意しますが、ロックフェスの動員をもってそれに対する反証とするのはどうかとも思います。

    多くのロックフェスは海外アーティストの招聘に多額の費用を割いていますし、ロックフェスの数自体が増えたとはいえ、その開催数は多くはありません。(年あたりで何十回もあるわけではない)

    ロックフェスで動員があがったからといって、音楽業界が潤っているというわけではないわけです。

    特に、日本の場合は人件費の高さなどもあって、音楽関係のコンサートなどでは利益はそれほど上がらないという構造もあります。何かあった場合に主催者の責められる度合いもかなりきついですしね。そういう意味では、イベントの制作はなかなか厳しいものがあります。

    全体的によく見られる状態として、主力となるコンテンツの供給が海外から行われ、その流通のみを行うことで得た売上で国内エンタテインメントがなんとか生き延びているという構図があり、これはかなりまずい状態です。

    海外コンテンツが悪いわけではないのですが、海外コンテンツの売上で国内コンテンツを食わすみたいな構図が定着してしまうと、結果的に文化侵略になってしまいます。

    日本は、西欧文化を取り入れてそれをアレンジし直すという方向でここ数十年やってきていて、それがアジアでの日本のコンテンツがウケる原因の一つにもなっています。つまりアジア向けのアレンジャーであるということですね。

    # コンテンツに限らず、技術でも改良するのが得意なお国柄ですが。

    ところが、国としてはそういった折角手元にあるコンテンツをアジアに対してもっと売っていこうという施策は殆どなく(お題目としてだけは掛け声はありますが)、このままではアジア市場が直接欧米のコンテンツホルダーによって支配されてしまいます。

    そういった国際的状況も含めて考えるに、今の日本における文化施策の軽視は最終的にはエンタテインメント全体の凋落を引き起こすのではないかと危惧しています。

    売れ筋が変化しているというのはその通りですし、そういった価値観の多様化にコンテンツ供給側が十分対応できていないのもその通りですが、それ以外にもエンタテインメントを巡る環境には様々な要因があって、先に述べたようなエンタテインメントにおける文化施策といった観点で見ると、あまりに日本はお粗末です。

    そういう観点での話だ、ということを踏まえて議論して頂ければ、個人的にはとても有り難いです。

  13. ナリト より:

    丁寧な御返事ありがとうございました。

    ちょっと、議論の流れと、私の意見の焦点に食い違いがあったようです。

    現状の捉え方に相違があるようですが、「よりよい状況になってほしい」と願うのは同じと思っています。

    そういう前提で、行政が行うべき施策を考えたときに、もっとエンタテインメントを作りやすい、あるいは売りやすい環境整備だけで十分かと思います。

    得意分野の映画・ビデオに関していうと、最近話題のフィルム・コミッションの充実が求められると思います。

    それは単にロケのアレンジだけでなく、撮影への人的サポート(エキストラや交通整理のボランティアなど)を行い、製作コストの圧縮に貢献が可能かと思います。

    また、海外セールスへの貢献としては、ヨーロッパや台湾韓国などで、定期的な日本映画祭を実施していくことで、ファンの裾野をすこしづつでも増やしていくことが肝要かと思います。

  14. Simon より:

    エンターテイメントとはまた少し違う話ですが、

    文化な話でふと思い出したことがあるので書いてみます。

    自分は元々学芸員なので

    博物館の在り方とかそういうのをよく研究してたんですが、

    日本の博物館というのは、必ず人里離れた緑地とか

    森の中とか丘の上とか、そういうところにあるんですね。

    わざわざ車やバスに乗っていかないと行けないという。

    しかも行ってみると、人がいない。

    ただハコだけ作って、後は放置してんですよ。

    要するに「隣の町も作ったからうちも作らなきゃ」

    っていって作るは作ったものの、使い方が分からない。

    ところが、ヨーロッパ諸国に行くと、

    博物館が、商店街の一角にあったりする。

    買い物帰りのおばちゃんがフラッと立ち寄ったり、

    近所の老人方がエントランスで井戸端会議をしていたりする。

    観光客相手に得意げに展示物を案内してまわっている人や、

    そもそも館長さんが町の名物オヤジだったりする。

    とにかく、人が集まってるんです。

    この違い、自国の文化をどうとらえていて

    どう利用しようとしているかをよく表していると思います。

    ヨーロッパ人は自国の文化に誇りを持ってるんですね。

    だから、古い建物も壊さずにとっておくし

    伝統的なスタイルも崩さずに引き継いでいく。

    いつ隣国から侵略されるかも分からない中で

    常に民族としてのアイデンティティを

    しっかり確認している必要があったんだと思います。

    だけど日本は島国、とりあえず海に囲まれてて安心。

    すくすくノー天気に育っちゃってるんですね。

    民族としてのアイデンティティなんて

    考えたこともない時代が、長く続いてたわけで。

    余計なこと考えてるヒマあったら

    田んぼで米作ってナンボの世界です。

    明日の糧としての米作りにしか興味がないもんだから、

    いつも小さくまとまってしまう。

    エンターテイメントに対する姿勢も

    ヨーロッパ人と日本人では

    全く同じ質の違いが見られると思います。

    ヨーロッパ人にとって、エンターテイメントを含め

    自国の文化というものは、命に代えても守るべきもの、

    ところが、日本人にとっては、余暇、ムダ以外の何者でもない。

    エコノミックアニマルと言われた所以です。

    日本人のこの体質をどうにか変えていかない限り、

    エンタメ業界の衰退は免れないかと。

    全く関係のない話を唐突に失礼しました。

  15. Simon より:

    >成人さん

    多分、焦点の違いは「商業としてのエンタテインメント」と、「文化としてのエンタテインメント」のどちらに重点を置くか、というところなのだと思います。

    私の場合、エンタテインメントにおいて商業的な部分は、付随するものだという考え方です。つまり、食うためには金稼げないといけないからお金を稼げる仕組みにしようね、ということで、エンタテインメントそのものは文化的な側面の方が強くある、と思っているのです。

    その辺が、現状の捉え方の違いにも出ているのだと思います。

    でもって、映画とサッカーに興味を持っておられるようなのですが、どちらも共通するものとして、「文化」の側面があると思うのです。映画文化、サッカー文化どちらも外来のものではあるのですが、それを消化して自らのものにすることで、初めて馴染んだと言えると思うのですよね。

    まず映画ですが、かつて映画がエンタテインメント界で大きな力を持っていた時期、日本映画は隆盛でした。その時代の名残の最後のあたりは私も触れていて、子供の頃に地元の名画座みたいなところで映画を見た記憶が何度もあります。

    現在ではあまり映画を見なくなってしまったのですが、その当時の記憶というのは私の中に深く根差しています。

    私は現在の日本映画界そのものに対して、もっと頑張って欲しいと思っていまして、エンタテインメント界の中での地位低下は否めないものの、もっと色々なことができると思っています。

    で、この辺は海外経験とも絡んでくるのですが、日本の映画はちょっと高すぎるきらいがあります。DVDが3〜4000円で買える時代に1800円というのはちょっと無茶です。

    アメリカ並みに数ドルとは言いませんが、映画というのが本質的には「上映」という再生行為を商売にしている以上、やはり1000円以下に押さえておかないと、気軽に「映画見に行くか」とは言えないと思うのですよね。

    かつてヨーロッパ、その中でも物価が高めのスイスに私はいたのですが、それでも1000円以下で映画は見られます。どうしてそうなっているのか、という点について詳しくは知りませんが、例えばフランスの場合は自国文化としての映画文化を振興する施策が取られていて、色々な形で補助金などの支援策を積極的に取っています。

    必ずしも同じことをせねばならないとは思わないのですが、かといってこのまま日本映画界が外来娯楽作品と、国内芸術作品と、少数の国内娯楽作品、しかも原作再アレンジもので占められていいとは思っていないわけです。

    で、海外セールスの話ですが、例えばアメリカは文化施策として海外へのセールスを政府が強力に推し進めています。貿易圧力も使って著作権の存続期間を世界中で長くしようとしているなんていうのも聞いたことがあるかもしれませんね。

    コンテンツそのものの売り込みを政府がやるわけではありませんが、国内産業の一つとしての文化輸出が可能なように政府が強力な環境整備をやっています。アメリカほど露骨ではないにせよ、ヨーロッパ各国もそういった文化輸出の環境整備はやっています。

    なぜ文化輸出をするか、つまりそれは他の国に自国のことを知ってもらうという役割があるわけです。国際親善でもあるわけです。

    例えば、アメリカは映画や音楽の輸出によって、アメリカに対する憧れを世界中に広め、国際社会での地位を補強しているわけです。

    そしてそのことは、その他の分野でのアメリカの国益にも適うことになります。

    しかし翻って日本の状況は、「コンテンツ売るぞ」という掛け声だけはあるものの、文部科学省の下部省庁である文化庁には予算がありません。予算なんぞ政治がつけてやりゃ出るわけですが、それをしないから結局掛け声だけでろくすっぽ何もできてません。

    コンテンツに関しては、日本の場合ひどい内外格差があるわけです。輸入はしまくるけど輸出はロクにない。まあ、最近では東アジア地域で日本文化がウケて輸出が多少伸びてますが、それは施策の結果ではなくて自然発生的です。

    そして、アメリカやヨーロッパでは日本の文化は本当に知られていない。アメリカやヨーロッパで日本のことを聞いてみればわかります。ソニー、パナソニック、ホンダ、トヨータ、ダッツンですよ。あとはフジヤマゲイシャレベル。これでいいのかニッポンよ。(笑)

    映画産業が2000億、映画ソフトが5000億、音楽産業が4000億という市場規模てのは何なんだって話で、これを合わせても電通1社の年間売上高(1.4兆)に敵わないんです。もっと頑張らないと。

    Motty氏の意見にも絡んできますが、エンタテインメントを支える者は文化の担い手であることを忘れてはならないという信念が私の中にはあります。

    儲かるという商業的な面も忘れてはならないのですが、まずはそのエンタテインメントに触れた人が楽しんでくれる、という娯楽としての基本、そしてそのエンタテインメントに魅せられ、憧れて、次代の担い手を産み出すことというのが必要だと強く感じています。

    そのサイクルそのものが、「文化」であると私は思っています。

    そして、文化なきところには継続的な発展もあり得ません。一時的な売上の上昇はあるにせよ、飽きられたら終わりです。これを如実に表しているのが、95〜98年の邦楽業界です。

    ですから、そういった「文化」を作っていくためには、単に商業的に儲かってるからいいや、ではダメで、作り手と運び手、クリエーターとメーカー、あるいはプロモーターが手に手を取って盛り上げていかなければ、絶対にそのサイクルは崩れてしまいます。

    今のエンタテインメント業界では、メーカーであったりプロモーターであったり、つまりコンテンツ流通をしているところが強い発言力を持っていて、流通マージンの保護を一所懸命やっています。クリエーターは予算を削られ、そのコンテンツを利用して金儲けしているところがどんどん儲かる形になる傾向が強い。

    これは本当にまずい。これを放置して得られるのは、エンタテインメントの死です。

    こういう状況をどうにかしたいと思っているのは私だけではないはずですが、なかなか既存権益は突き崩せないわけです。ただし、個々の人間が生の声を伝え合える、このインターネットというツールがあれば何かが変わるのではないかという思いでいます。

  16. ナリト より:

    JASRACが、昨年の著作権使用料の総額を発表しました。

    意外や意外(僕だけ?)昨年に比べ3.2%の増とのことです。

    http://www.jasrac.or.jp/release/04/05_1.html

    また、ここのサイトで発表されている13年度以降は、1年だけ減少しましたが、そのほかは増加しています。

    このリリースでも触れられていますが、オーディオディスクは減少、DVDや着メロ、カラオケ、放送からの収入は減少。

    ということは、作曲者は儲かっているけど、演奏者や作詞家はの収入は減っているということですかね。

  17. trinityDIC584B より:

     流れを無視してひとりごとです。文化を楽しめる咀嚼力の基礎は教育(親、学校、社会などによるもの)で身につけさせるものだと思いますが、育て方を間違ってきたんじゃないのかね、という気がします。

  18. Hoba より:

    不振という以前に、既に「飽きた」という考え方は否定されるのでしょうか?

    質が落ちたとか言う以上に、誰もが同じ事にしか目がいかなくなっていると思ってます。

    ウチの会社でも、コンテンツ制作というのが本業なので、そういった中味を作って利益を上げていますが、どれもこれも「見たこと有る」ものばかりです。

  19. Simon より:

    飽きたのかもしれません…というか実際飽きてますが、飽きられないようにするのがエンタテインメント業界側の仕事ではありますまいか。

    ところで同じことって例えばどんな感じですか?

    「見たことある」っていうのも分かる感じはするんですが、その「見たことある」ものも最初は誰かが作ったわけで、その延長線上でやっぱり新しいもの誰か作るのではないかとか。

    あ、反論じゃないですよ。聞いてみたいだけです。

    よければ是非書いてくださいな。

  20. Hoba より:

    そう、飽きられないのがコンテンツ屋としての腕の見せ所。

    もっと言えば、企画屋の手腕に掛かってるのですけどね。

    同じ物というのは、誰かが作った物の延長と言うより「真似」だったりします。

    誰かが作った物を参考にするのは大いに結構ですが、真似るのはエンターテイメントなんか?と思っちゃいます。

    取って付けるだけなら誰にでも出来ますよ。

    それをやってる人が多い気がしてます。

    それをリメイクだとか、リニューアルというコトバで誤魔化されるだけじゃないか?とも。。。

    #上手く言えないなぁ・・・

  21. gmax@鴉 より:

    あれこれ考えることはあって、なおかつまとまらない状態なんですが書いてしまっておこう。

    先日一緒にお酒を飲んだ人は自ら作ったインスタレーションを舞台に踊るような人だったんですが、そういうパフォーマンスをやる人はその場でのすべて、オーディエンスもパフォーマもなく、気温や風やそこに集う人々の持ち寄ったコンテクストも含めたすべてを包含した体験共有自体が作品の重要な一部なので、すでにメディアなんか見限ってましたね。

    メディアやらコミュニケーション手段やら、それに付随する産業はこういった体験を広範によりリッチに共有できる手段を洗練して、よりクリエイターの可能性を広げるお手伝いをして欲しいのに、ぜんぜん違う方向に行ってしまって、魅力が無いどころか大きな足かせや制限になってしまってるというのが本懐でした。メディアを介すると楽しくない、とも言ってました。極論ではあるんですが、納得できる面も多々。

    あと「文化」というものについて思う事も、たとえば特に近代以降の日本の音楽教育史みたいなのを今一度振り返ってみて、なぜこの国は文化施策についてこれほどに後進的なのかという理由をさかのぼって考えても見たいのですが、これは別トピック起こしたほうがいいでしょうかね?

  22. Simon より:

    文化施策について語るトピックがあってもいいかもしれないですね。是非立ててください。

    ちょっと原稿が佳境でそこまでフォローできませんですが…。

  23. いちにの より:

    エインタテインメントの業界でこんな活動をしている人たちもいます。

    札幌を拠点として映像とステージを使った作品を提供する「scherzo(スケルツォ)」

    決して全く新しいというものではないかもしれませんが、

    新鮮で斬新、上品でバカ、まるでスネークマンショウのような作品がならびます。

    東京、京都、名古屋、新潟での公演が7月末にあります。

    こういった人たちが評価されるような時代になると、エンタテインメントは盛り上がってくると思います。

    http://www.scherzosketch.com/

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